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アレクサンドロス大王の戦い 1

みなさんこんにちは。

今回は世界史に目を向けて、今も欧米先進国や中東諸国で絶大な人気を誇る、アレクサンドロス大王についてお話したいと思います。自分が今回このテーマを選んだ理由についてですが、それはこの人が、恐らく人類史上初めて「世界征服」という野望を抱き、それを実行した人物であるという点に興味を引かれたからです。

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(アレクサンドロス大王について詳しくお知りになりたい方は上の2つの本が良書です。上の本はカラーで写真や図が多く掲載されていて資料としては最適ですが本文が短く、ページ数は180ページ余りです。下の本は2世紀の帝政ローマの歴史家アッリアノスの有名な「アレクサンドロス大王東征記」の文庫版で、さらに詳しく大王について記した1900年読み継がれる名著です。上・下巻に別れ、ページ数は上巻473ページ、下巻は508ページという読み応えのあるもので、ほとんどの方がこの3冊をまとめて購入されています。)

BattleofIssus333BC-mosaic-detail1.jpg

アレクサンドロス大王(紀元前356~323)は正式にはアレクサンドロス3世といい、(英語読みではアレクサンダーですが、本文ではこちらの呼び名にします。)もともとは現在のギリシャの中央部に位置していたマケドニア王国の王でした。(地図で見ると、北にある現在のマケドニア共和国とはだいぶ位置が違いますね。)

LocationMacedonia-MAC-1-z.png

このマケドニア王国は、紀元前700年頃から310年まで約400年以上続いたアルゲアデス王家が建国した国家であり、アレクサンドロスはそのアルゲアデス朝26代国王に当たります。

当時このギリシア地域はたくさんの都市国家(ポリス)に分かれ、とりわけアテネ、スパルタ、テーベなどが互いに相争い、時には同盟をするというサイクルを繰り返しており、さらに東には、エジプトをも従えた強大なペルシア帝国が、そんなギリシアの混乱に乗じて隙あらば攻め入って併合すべく虎視耽々と狙っていました。


後にアレクサンドロスは、そんなギリシア世界を武力で統一してペルシアへの大遠征に出ますが、ここで誤解して頂きたくないのは、その全てをアレクサンドロスが一人で一から築いていったわけではないという事です。その土台は彼の父親である先王フィリッポス2世(紀元前382~336)によって造られました。

505px-Philip_II_of_Macedon_CdM.jpg

上がそのフィリッポス2世とされる黄金のメダルです。(鋳型に金を流して作ったのか、彫金なのか分かりませんが、2400年前にこれほど繊細で写実的な物を作っていた古代ギリシアの人々の技術には驚嘆せざるを得ませんね。)

フィリッポス2世は優れた王でした。彼は幼少期に先に述べた都市国家テーベに人質に出され、そこで過ごす内に数々の戦術を学びながら独自の軍隊の陣形を編み出し、兄王の死後帰国して王に即位すると直ちに軍制改革に着手して、長さ4~6メートルもある長槍を持った重装歩兵による密集隊形で敵軍を打ち破る「ファランクス」と呼ばれる陣形を考え出しました。

Makedonische_phalanx.png

上の図の様に長い槍と盾で武装した軍団で敵陣を崩すのです。敵軍はマケドニア兵を打ち倒そうにも先頭部隊の長い槍に阻まれて近づく事も出来ません。そして陣形をばらばらに切り裂かれた挙句、後方にひかえる軍勢によって駆逐されてしまうのです。

もともとこの戦法自体は古代バビロニアで考案され、オリエント地方を通じてギリシアにも伝えられていたのですが、必ずしも常に編成されたわけではなくあくまでも軍の一部程度でした。それをフィリッポスが拡大改良し、これに騎兵を組み合わせてマケドニア全軍に取り入れたのです。

Thrace_modern_state_boundaries.png

さらにフィリッポス2世は軍制だけでなく国の財政も整備します。彼は東隣のトラキア(位置は上図参照)に侵攻して、この地方のパンガイオン金山を手中に収め、財源を確保します。(先に載せたフィリッポスのメダルもそこから得た金で作られたのでしょう。)さらに産出した金で品位の優れたスターテル金貨を鋳造して、これを兵士たちに「給料」として支払う事で、いざ戦時となればただちに兵を動員出来る常備軍を造り出しました。これによりマケドニアはいつでも戦争をすることが出来る様になり、国家と国民の全てが軍事化されたスパルタを除き、農閑期にしか戦が出来なかった他のギリシア都市国家を次々に撃ち従えて行きました。

Grek1s-340.jpg

上の画像は彼が作らせたスターテル金貨です。(スターテルとは「重さ」を表す単語の様です。)

またフィリッポス2世は、後継者である王子アレクサンドロスに英才教育を施すため、アテネから当時のギリシア世界最高の哲学者アリストテレス(紀元前384~322)を家庭教師として招きます。

Aristotle_Altemps_Inv8575.jpg

この当時アレクサンドロスはまだ12,3歳の少年でしたが、他の学友たちと供にアリストテレスから弁論術(演説など)医学、科学、文学、哲学などを学んだといわれます。そしてこの時一緒に学んだ学友たちが、後の東方遠征で彼に従う将軍たちとなります。(もちろんまだ10代半ばの少年に、これらの難解な学問が理解出来るはずはないですから、あくまで基本的な知識程度でしょう。しかし思春期の多感な時期にギリシア文明の英知に触れた事は、その後の彼の人生と価値観に大きく影響した事でしょうね。)


Alexander_and_Aristotle.jpg

父王フィリッポス2世は、スパルタを除く他の都市国家とコリント同盟を結んで全ギリシアを支配下に置くと、東の強敵ペルシア遠征を計画し、その先遣部隊として約1万1千の兵を小アジア(現トルコ)に上陸待機させます。しかしその矢先、護衛によって志半ばで暗殺されてしまいます。(この暗殺は、仲が悪く離婚した元王妃の謀略という説が長く主張されています。優れた王であった彼も、私生活は上手くいってなかった様ですね。)

フィリッポス2世の死後20歳で即位したアレクサンドロスは、父王から強力な軍隊を受け継ぎ、やがて父の遺志を継いでペルシアへの大遠征に出発しますが、その大事業はこの様に、父フィリッポス2世が造り上げた強固な地盤の上に成り立つものでした。

次回はその後のアレクサンドロスについてお話します。
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テーマ : 歴史
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