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運命の皇帝フランツ・ヨーゼフ1世 ・ 血塗られた若き絶対君主

みなさんこんにちは。

1848年のウィーン3月革命で、それまで最高権力者として絶大な権力を振るい、自由主義や帝国に反旗を翻すものを徹底的に弾圧してきたオーストリア帝国宰相メッテルニッヒは失脚してしまいました。 彼を宰相職から解任したのは時の皇帝フェルディナント1世という人物でしたが、それまで長い間メッテルニッヒの圧政に耐え忍んで来た市民らの怒りはそれだけでは到底収まらず、革命勢力の勢いに危険を感じた皇帝は、宮廷を一時的にチロルのインスブルックに避難させ、宮廷を支える大勢の貴族たちもそれに従い脱出します。


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上が時のオーストリア皇帝フェルディナント1世です。 (1793~1875) 彼はオーストリア帝国2代皇帝でしたが、生来病弱で国政をメッテルニッヒら重臣たちに任せきりにしていました。 彼が行った重要な事と言えば、そのメッテルニッヒを解任し、宮廷を避難させた事、さらにかつて「日の沈まない帝国」と呼ばれた世界帝国の主である偉大な先祖カール5世以来300年ぶりに、皇帝自ら「退位した」事くらいでしょう。(彼の父である先帝フランツ1世も 「神聖ローマ皇帝 」を退位していますが、彼はすぐに「オーストリア皇帝」に即位しているので、事実上このフェルディナントがカール5世以来の皇帝退位です。また彼は病弱なのにも関わらず意外に長命で、82歳の長寿を全うしています。本当に病弱だったのでしょうか? 笑)

しかしインスブルックに避難した後も市民らの怒りは治まらなかったため、皇帝は周囲の廷臣や貴族たちに半ば迫られる形で退位せざるを得なくなります。 理由としては、先に述べた様に彼が病弱であった事から子孫を儲ける事が出来ず、さらに政務の全てをメッテルニッヒなどの重臣に委ねる事になった事が今回の争乱を引き起こしたという批判と、父フランツ帝や宰相メッテルニッヒ同様、彼自身も厳格な保守主義者であり、改革や変化を嫌ってひたすら過去の帝国の姿を求め続けた事が考えられます。

「何も変えてはならぬ。 それこそが帝国とわがハプスブルク家の生きる道なのだ。」

先帝フランツ1世は死の間際、後継者フェルディナントにこういい残していました。 そしてお気に入りの宰相メッテルニッヒを信じ、彼に全てを任せておけば良いのだと。 父の言葉を息子は忠実に守りましたが、その結果がこの革命の勃発でした。 そしてそれにより、ハプスブルク家はそれまでの皇帝がせっかく醸成してきた「改革」と「進歩」に背を向け、「停滞」と「過去の栄光」にしがみ付く様になってしまったのです。

この3月革命自体は、その後帝国軍の名将ラデツキー将軍らの活躍で鎮圧され、オーストリアの混乱は終息に向かいますが、帝国はもっと若い新たな指導者を求めていました。

1848年12月、フェルディナント1世は正式に退位し、新しい皇帝として甥に当たるフランツ・ヨーゼフ1世が即位、オーストリア帝国は新たな時代を迎える事になります。 ここに運命の皇帝の誕生です。


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上が新皇帝フランツ・ヨーゼフ1世です。(1830~1916) 彼は伯父フェルディナント1世に子がいなかった事から、伯父帝の退位により若干18歳で即位しました。(彼の写真や肖像画はたくさんあり、後にいくつか載せていきますが、ほとんどが年を取った晩年の大きな髭を生やした姿ばかりです。 しかし若い頃は上の様にとても美男子だった様ですね。驚)

フランツ・ヨーゼフ: ハプスブルク「最後」の皇帝 (河出文庫)

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このフランツ・ヨーゼフ1世について詳しくお知りになりたい方は上の本が良書です。 日本のハプスブルク研究の第一人者である江村洋教授の執筆されたものの一つで、フランツ・ヨーゼフ帝の生涯が、彼の死とともに滅びゆくオーストリア・ハンガリー帝国の歴史とあわせて語られていきます。 ページ数は450ページ余り、値段も手ごろで文章も堅苦しさを感じさせないとても読みやすい本です。

このフランツ・ヨーゼフ1世こそ、後のオーストリア・ハンガリー二重帝国の皇帝となるべく生まれて来た存在といえるでしょう。 二重帝国は彼が創り出し、彼の人生とともに歩み、そして彼の死をもって潰え去るのですから。

さて、オーストリア本国における3月革命は終息に向かっていましたが、それ以外の帝国の各地では今だ激しい革命の争乱が続いていました。 特に帝国内で古くから最大の勢力を持つハンガリーと、統一国家成立への道を模索し始めたイタリアで、帝国軍と革命勢力との激しい戦闘が続いており、新皇帝フランツ・ヨーゼフにとってこれらの速やかな鎮圧が最初の大仕事となります。

といっても、皇帝とはいえまだ18歳に過ぎない彼に、革命の鎮圧はもちろん国政の全てが出来ようはずもなく、帝国の舵取りはメッテルニッヒ失脚の後、新たに帝国宰相となったシュヴァルツェンベルクが担います。


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上が新宰相フェリックス・シュヴァルツェンベルク公爵です。(1800~1852) 彼は経験豊かな政治家で国際政治にも長けた有能な外交官であり、軍人でもありました。 残念ながら在任期間わずか4年ほどで亡くなりますが、政治、軍事、外交に活躍し、まだ若年のフランツ・ヨーゼフを良く補佐して皇帝から「最高の大臣」と称えられました。

フランツ・ヨーゼフはまず、帝国内の最大勢力ハンガリーの革命勢力を潰す事に決し、シュヴァルツェンベルクにそれを命じますが、当時オーストリア帝国軍は各地に飛び火していた革命勢力の鎮圧のためにその多くが出払っており、ハンガリーの革命勢力を叩くには帝国軍の兵力がとても足りない状況でした。

そこでシュヴァルツェンベルクは、先代宰相メッテルニッヒ並みのしたたかさで一計を案じます。 それは隣国ロシアに援軍を求め、その軍勢をもってハンガリーの革命勢力を挟み撃ちにするというものです。 しかし彼は何を餌にしてロシアを動かしたのでしょうか? それは簡単です。 それは「餌」というよりいわゆる警告で、

「このままハンガリーの革命を野放しにすれば、いずれ貴国にもそれが及びますぞ。 その前に力を合わせて葬ってしまいましょう。」

シュヴァルツェンベルクはフランツ・ヨーゼフの了解を得て、当時のロシア皇帝ニコライ1世に上の様にしたためた手紙を送り、事態を憂慮したニコライ1世からハンガリーへの出兵の約束を取り付ける事に成功します。


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上は当時のロシア皇帝ニコライ1世です。(1796~1855) 彼はロシア帝国第2王朝ロマノフ朝11代皇帝で、当時のハプスブルク家同様「変化」を嫌う厳格な保守主義者でした。宰相シュヴァルツェンベルクはそんな彼の性格を上手く利用したのです。(ちなみにこのニコライ1世は、あの「白衣の天使」で有名なナイチンゲールが活躍したクリミア戦争の時のロシア皇帝です。)

こうしてオーストリア帝国軍は若き新皇帝フランツ・ヨーゼフの名の下、ハンガリー革命勢力壊滅作戦を開始します。 彼らのたくらみは見事に成功し、東からは約束通りロシアの大軍がハンガリーに侵攻、勝ち目の無くなった革命勢力のメンバーは次々に討ち取られてしまいます。 こうしてハンガリーの争乱も終息に向かうのですが、実はここでフランツ・ヨーゼフは、その高貴な人生の初めに生涯の禍根ともなる大きな過ちを犯してしまったのです。

それは彼の軍勢がハンガリーにおいてあまりに徹底した弾圧を加えたために、戦闘での死者も含めて大勢の市民が巻き添えとなってその犠牲となってしまったからです。 そして元来独立心の強いハンガリー人の独立への夢を潰し、たくさんのハンガリー人の命を奪ったとして、以後彼は「血塗られた悪の皇帝」というレッテルを貼られ、その名はハンガリー人たちの心に憎悪の対象として深く刻み込まれてしまう結果となってしまいました。

そしてこの事が、後のオーストリア・ハンガリー帝国成立のきっかけになるのですが、多民族で構成されるオーストリア帝国の中で、皇帝フランツ・ヨーゼフは帝国の維持と、ハンガリー人の自分に対する悪いイメージを払拭するために、ハンガリーに対して他の民族よりはるかに優遇した特権を与え続ける事になります。 しかし、いくらそうして過去の過ちを相殺しようとしても、一度してしまった事は取り返しがつかず、ハンガリー人の皇帝への悪感情が消える事はありませんでした。(それは現在でも変わらず、今でもハンガリーの人々は、後にお話しする彼の皇妃エリザベートは大変慕っていますが、その夫である皇帝フランツ・ヨーゼフは嫌っています。)

その後もフランツ・ヨーゼフは、帝国の内外でくすぶる内乱鎮圧に奔走しますが、この時のハンガリーでの失敗が、その後の彼の人生とハプスブルク家に重くのしかかっていく事になります。

次回に続きます。
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テーマ : 歴史
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