アレクサンドロス大王の戦い 2

みなさんこんにちは。

今回も前回に続き、アレクサンドロス大王についてお話したいと思います。

父王フィリッポス2世の暗殺によって弱冠20歳で新たなマケドニア王に即位したアレクサンドロスでしたが、王位に付いたからといって、すぐに東方遠征に出発したわけではありませんでした。その理由は大きく二つあります。

まず一つ目は父王の死によって、それまで武力で服従させていたアテネやテーベなどの有力都市国家が反乱を起こした事です。これらの都市は、かつてギリシアの盟主として覇を競った列強であり、その彼らからすれば、元はギリシア北部辺境の「田舎者」であったマケドニアに服属する事は、何とも耐え難い事でした。

800px-Acropolis_(pixinn_net).jpg

こうした動きにアレクサンドロスはすぐに軍を動かして、首魁であるアテネとテーベの反乱勢力を撃破し、再びこの2都市を服従させるとコリント同盟会議を再招集させ、改めて全ギリシアの盟主と認められました。(実際は武力で「認めさせた」のですが。)

ギリシア本国を手中にして南を押さえた彼は、今度は自領であるマケドニア北方に遠征し、この地で反乱を起こしていたバルカンの異民族を駆逐します。しかしその戦のさなか、「アレクサンドロスが戦死した」との誤報が流れ、それを聞いたアテネとテーベなどでまたも反乱勢力が息を吹き返します。中でもテーベでは、市民がマケドニア軍の司令部を襲撃し、その駐留軍を追い出すなどの行動に出ました。

一度ならず二度までも自分に歯向かったこの2都市に対しアレクサンドロスは怒りに燃え、北方地域を平定するとすぐ南に取って返し、反乱の急先鋒であったテーベを総攻撃しました。思わぬ急襲にテーベでは奴隷にまで剣を持たせて激しく抵抗しましたが、鍛え抜かれたマケドニア正規軍に完敗し、多くの市民が虐殺され、生き残った者も奴隷にされて都市は徹底的に破壊されました。

これは他の都市国家への見せしめとして行われたのですが、こうしたアレクサンドロスの動きはギリシア世界に大きな衝撃を与え、テーベの末路に恐怖したアテネは再び恭順の意を示し、反乱に呼応していた他のいくつかの都市も服属させると反マケドニア運動は収束していきました。こうしてアレクサンドロスは全ギリシアの実権を完全に掌握したのでした。

51841101.jpg

上の画像はアレクサンドロスが即位の際に作らせた金貨です。表に彼の横顔、裏には翼を持った勝利の女神ニケの姿が彫られています。(このニケは「勝利」という意味で、英語では「ナイキ」と発音し、あのスニーカーで有名なナイキの社名の由来となっており、また同社のロゴマークはニケの翼を表しているそうです。)

200px-Logo_NIKE_svg.png

アレクサンドロスの東方遠征を妨げていたもう一つの理由は戦費、つまりお金の問題です。彼は父王フィリッポス2世から強力な軍隊を持つ国家を受け継いではいましたが、財政面では前述の様に父王の時代から続く出征や、度重なる反乱鎮圧のためにマケドニアの国家財政はかなりの赤字で、彼は父王から多額の負債も相続していました。

アレクサンドロスは東方遠征の戦費調達のために、王国の貴族たちに王領地や港湾からの収入(交易税など)を売却し、さらに借金を重ねて何とか遠征費用をかき集めましたが、それでもせいぜいたった一か月分ほどにしかなりませんでした。そんな風に王家の財産を簡単に売ってしまった若い王を心配した側近たちが、これでは「王自身に何も残らなくなる」と彼を説得しようとしましたが、彼は自分には「希望」さえあれば良いと答えたそうです。

さらに王国の重臣たちも、アレクサンドロスがまだ結婚もせず、世継ぎもいないまま大遠征に出かける事に反対しましたが、彼は構わず取り合おうとはしませんでした。どうもこういう点は若さゆえにあまり先の事を考えていなかったというか、王国の統治者としてはまだ未熟さが感じられる部分があります。

いずれにしてもかなりの綱渡りと言うか、とても危険な「投資」であったことは事実ですね。しかしこの若者の目は、わずらわしい銭勘定や些末な政治の事よりも、まだ見ぬはるか東方世界の征服という大事業にのみ向けられていて、他の事にはあまり関心を払っていなかった様です。

さてこの時点で、アレクサンドロスが大遠征のために準備した兵力はどの程度だったのかというと、歩兵3万2千、騎兵5千、合わせて3万7千ほどで、その内訳はマケドニア兵1万2千、ギリシア諸都市国家の兵1万3千、その他のバルカン諸民族の兵1万2千からなる連合軍でした。これを本隊として、さらに父王フィリッポス2世が小アジアに待機させていた傭兵部隊主力の先遣部隊1万1千を合わせると、合計4万8千の大部隊になります。

アレクサンドロスにとって一番の悩みは、先に述べた様にやはり戦費の不足でした。総勢5万に近い軍勢を維持して戦い続けるには、彼が苦心してかき集めた手元の資金はあまりに貧弱で頼りないものでした。(後に「大王」と称され、その後の幾多の英雄たちに敬われたアレクサンドロスも、お金に関してはかなり悩まされ、手を焼いた様です。)そのため彼は、短期決戦で速やかにペルシア支配下の諸都市を攻略し、その地の財貨を得る必要に迫られていました。

アレクサンドロスの大遠征はこの様な「イチかバチか」という賭けに近い状態から始まり、短期決戦どころか合わせて11年に及ぶ果てしない長期戦を戦い抜く事になります。

次回はアレクサンドロスの遠征の様子をお話します。
スポンサーサイト

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

フリーエリア
フリーエリア
にほんブログ村 歴史ブログ 世界史へ
にほんブログ村 ランキングに参加しております。よろしければ「ポチッ」として頂ければ嬉しいです。
プロフィール

コンテバロン

Author:コンテバロン
歴史大好きな男のささやかなブログですが、ご興味のある方が読んで頂けたら嬉しいです。

最新記事
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスカウンター
オンラインカウンター
現在の閲覧者数:
リンク
QRコード
QR