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アレクサンドロス大王の戦い 3

みなさんこんにちは。

今回も引き続き、アレクサンドロス大王の遠征についてお話いたします。

さて、何とか苦労してギリシア世界をまとめ、東方オリエントへの大遠征を開始したアレクサンドロスでしたが、その行く手には強大な敵ペルシア帝国が待ち構えていました。ここでそのペルシア帝国について触れて置きます。

このペルシア帝国とは正式にはアケメネス朝ペルシア帝国といい、この地域の小国アンシャンの王であったキュロス2世(紀元前600?~529)が、当時この地域の3大勢力であったメディア王国、リュディア王国、新バビロニア王国を次々に滅ぼしてオリエント世界をほぼ統一し、「諸王の王」を称して紀元前550年頃建国した大帝国でした。(アケメネス朝の名の由来は彼の王家の初代であるハカマニシュという王のギリシア語読みからだそうです。またペルシアは「騎馬民族」を意味するパールスから来ているそうです。)

iran_1.jpg

CYRUS_~1

上は人々に崇められるキュロス2世。また現在のイランは彼を建国者としています。

そのキュロス2世の死後、息子のカンビュセス2世はエジプトをも征服してペルシアの領土に組み入れますが、その留守中にペルシア本国では遠縁の地方総督であったダレイオスが宮廷クーデターを起こして帝位を簒奪、(カンビュセスはエジプトで自害)ダレイオス1世(紀元前558~486)として即位します。

Darius.jpg

このダレイオス1世はやがて周辺諸国へも侵略の手を伸ばし、紀元前499年ギリシア併合を目論んで数十万といわれる大軍を率いてギリシアに侵攻し、(ペルシア戦争)ギリシアをその存亡の淵にまで追い詰めます。(このペルシア戦争は彼の死後も息子のクセルクセス1世に引き継がれ、紀元前449年まで何と50年も続き、その間ペルシアは3度もギリシアに侵攻しています。結果としてペルシアはギリシア攻略に失敗し、武力での介入を諦めて都市国家同士を相争わせる方針に転換します。)

しかしこのダレイオス1世は戦争ばかりしていたわけではなく、広大な帝国の発展のため数々の政策を打ち出した名君でもあります。彼は帝国全土をおよそ20の行政区に分けて、それぞれにサトラップと呼ばれる一種の総督を置き、それらの行政区を「王の道」と呼ぶ街道で結び、さらに「王の目」「王の耳」と称する監察官を派遣して各行政区を監視させました。また彼は新たな都としてペルセポリスを建設し、さらに品位の優れた金銀貨を発行、帝国内の商人たちを保護して交易を盛んにしました。アケメネス朝ペルシア帝国は彼の時代に最盛期を迎えます。

iran_2.jpg

この国家は燃え盛る炎を神として崇めるゾロアスター教(拝火教)を国教としていましたが、従えた他の民族にそれを押し付けるような事はせず、他の民族の神々も尊重していました。そういった寛容さが多くの民族を束ねて巨大な帝国を運営していく原動力の一つとなっていた様です。

しかしダレイオス1世の死後、ペルシアは彼が始めたギリシアとの長い戦争と、絶えず帝国内で繰り返された反乱や王位をめぐる内紛などで緩やかに衰退していき、アレクサンドロスが登場する時代には、領土が広大なだけで何かきっかけがあればいつ崩壊してもおかしくないという状態にありました。

紀元前334年春、アレクサンドロスはこの巨大な敵と戦うべくギリシアを出発、ダーダネルス海峡を渡り小アジア(現トルコ)に上陸します。そして周辺の都市を次々に攻略しながら進撃を開始しました。もちろんペルシア側も手をこまねいていたわけではありません。ただちにこの地域一帯の総督たちに迎撃命令が下り、およそ3万5千からなる討伐軍を差し向けました。対するアレクサンドロス軍は、占領した各都市に守備隊を置いていった結果、この時点で兵力は2万5千余りに減っていましたが、兵士たちの士気は旺盛でした。

両軍はグラニコス川の両岸で始めて会戦します。激戦の結果はアレクサンドロスの勝利。ペルシア軍はおよそ4千の死傷者を出して敗退。対するアレクサンドロス軍は戦死200~300名、負傷2千余りというものでした。

実はこの時、ペルシア軍は戦わなくても良かったのです。ペルシア軍の武将の一人が、都市や村々から食糧、家畜その他全てを一時的に持ち去り、敵を奥地に引き入れて戦線が伸びきった所で叩く、いわゆる「焦土作戦」を主張したのに、戦を知らない殿様官僚の総督たちが「それでは自分たちの所領が大損害を被る」と嫌がり、真正面で立ち向かったために敗北したのです。もしこの時総督たちが、武将の進言を受けてその作戦に出ていれば、前回もお話した様に金も食糧も余裕の無いアレクサンドロスは敗れてギリシアに退却せざるを得ず、その後の歴史は変わっていたかもしれませんね。

ともかくアレクサンドロスは緒戦の勝利を飾り、小アジアを平定してさらに軍を南へと進めます。その間も、迎え撃つペルシア軍との間で大小さまざまな戦闘が繰り返されましたが、勢いに乗ったアレクサンドロス軍はこれらを蹴散らし、ペルシア領奥深くへと進撃を続けました。彼の戦いはまだ始まったばかりです。そして行く手にはさらなる強敵と困難が待ち受けていました。

次回もアレクサンドロスの遠征の様子をお話いたします。
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