アクロンとメイコン ・ 幻の飛行空母

みなさんこんにちは。

今回のびっくり兵器は、かつて1930年代のアメリカで建造された世界唯一の飛行空母「アクロン」と「メイコン」をご紹介します。

「飛行空母って何だ?」と思われてしまうかも知れませんが、別にアニメ映画の様に鋼鉄の軍艦が空を飛ぶのではありません。飛行船に小型戦闘機を搭載したとてもユニークな実在の飛行船の事です。(あの宮崎駿監督が全盛期の名作アニメ映画「天空の城ラピュタ」に登場する巨大な飛行戦艦ゴリアテは、明らかにこれらをモデルにしたものでしょう。)


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上がその飛行船「アクロン」です。飛行船の下に、まるでコバンザメの様に小さな飛行機が付いているのがお分かりいただけると思います。このアクロンは1931年10月に就役し、全長約240メートル、最高速度は時速130キロ、乗員90名、武装は機銃7基を装備する典型的な「ツェッペリン型飛行船」でしたが、何と言ってもこの飛行船の目玉は、上の様に小型戦闘機を4機搭載出来るという点です。

しかしここで疑問に思うのは、「どうやって飛行機を船体に格納するのか?」という点ですね。それについては下の一連の写真をご覧ください。


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上の1枚目が着艦するために母艦に近づいて来た搭載機です。そして着艦の方法は2枚目と3枚目の様に、飛行船から張り出されたフックに引っ掛けて格納庫に引っ張り上げるのです。この時代はすでに写真の様な翼が2枚の複葉機は旧式化していましたが、飛行船の速度に合わせて飛行出来る低速の小型複葉機が特別設計で作られました。(なんだか可愛らしい戦闘機ですね。笑)

それにしても、なぜこの様なものが造られたのでしょうか? ここでまずは今回のテーマの主役である飛行船の歴史と合わせてご説明しましょう。

そもそもこれら一連の大型飛行船を初めて実用化したのはドイツの貴族で軍人のツェッペリン伯爵でした。


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上が飛行船の創始者とも云うべきフェルディナント・フォン・ツェッペリン伯爵です。(1838~1917)歴史好きの方はもちろんですが、そうでない方でも彼の名は聞いた事があるでしょう。(変わった名前ですからね。笑)彼は若い頃は勇敢な軍人として名を馳せ、ドイツ陸軍中将にまで昇進した歴戦の軍人でしたが、飛行船事業に夢中になるあまりに軍司令官としての職務を度々脱け出すなどで周囲を困らせ、1890年には更迭されて辞職してしまうという異色の経歴の持ち主でした。

しかし彼にはその方が良かったのかも知れません。彼は軍人としての栄達よりも、大空を飛ぶ飛行船に夢を馳せ、退役後はひたすら飛行船の開発に全てを捧げ、そのおかげで彼は歴史にその名を残す事になります。その後彼は1898年に自らの飛行船会社を立ち上げ、やがて1900年に最初の大型飛行船「ツェッペリン1号」を完成させ、初飛行に成功しました。


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上がその「ツェッペリン1号」です。この船は金属の骨組みをアルミニウム製の外皮で覆い、その中に水素ガスを積めた「硬式飛行船」と呼ばれるタイプで、以後この種類の大型飛行船を総称して「ツェッペリン型」と呼ばれる事になります。そしてこの船が空を飛んだのは、ライト兄弟が飛行機で初めて空を飛んだより3年前の1900年でした。つまり、飛行機が出来るはるか以前に人類は「空を飛ぶ」という夢を実現していたのです。

こうして人類の歴史に登場した飛行船はその後も改良拡大され、まだ幼稚な段階だった飛行機を尻目に先行して発達し、やがて50人程度の乗客を乗せられる旅客飛行船が多く就役して新しい物好きの富裕層にもてはやされ、第一次大戦中には飛行船先進国だったドイツで合計119隻ものツェッペリン型飛行船が建造され、偵察や爆撃に活躍しました。

時が流れて第一次大戦後の1920年代、戦争に敗れたドイツは多くの賠償金を課せられ、その賠償の一部として建造中の飛行船1隻がアメリカに引き渡されました。かねてから飛行船の軍事利用に目を付けていたアメリカは1924年、構造と技術を習得するためにこの船を持ち帰り、「ロサンゼルス」と改名して独自に運用を開始しました。

なぜアメリカはこの飛行船というものに関心を抱いたのでしょうか? その理由は飛行船の長大な航続能力です。飛行船は内部に水素ガスなどを積めればいくらでも浮いたままでいられるので、気流に乗れば1万キロから2万キロという驚異的な航続能力が可能で、側面に付いているプロペラエンジンは姿勢制御と飛行のための補助的なものでした。

アメリカはこの飛行船の長大な航続能力を生かして遠距離の仮想敵国の海軍基地(当時日本がドイツから奪い取り、その後日本の委任統治領となった中部太平洋に建設中だったトラック基地など)周辺まで進出させ、そこから格納された搭載機で強行偵察を行う作戦を考えていたのです。

しかしこの飛行船というもの、見た目には悠々と大空を飛ぶ姿が印象的ですが、飛行機と違ってその整備その他に多くの人手と細心の注意を払わなければならないとても危険なものでした。特に突風に弱く、突然の強風に煽られて多くの飛行船が墜落事故を起こし、このロサンゼルス号も下の写真の様なとんでもない目に合っています。


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「あれっ? れれれ!」

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「あ~あ!」

上の写真は1927年8月に起きた「ロサンゼルスの倒立」と呼ばれる事故です。一陣の強風がこの船をこの様に持ち上げてしまいました。しかし驚いた事に翌日には元の姿勢に戻り、幸い乗員は全員無事だったそうです。

この出来事も、前述した宮崎駿監督の名作アニメ映画「魔女の宅急便」のストーリーにそのまま使われていますね。ここで個人的な意見で恐縮ですが、彼はこの作品までが才能のピークでしたね。自分はアニメには詳しくありませんが、宮崎氏の作品はそれまでのアニメとは比較にならない非常に繊細で美しい絵コンテによる写実的表現が魅力で、当時多くの人がそのクオリティの高さに驚嘆し、ベテラン声優陣と、またこれも全盛期だった久石譲氏の優れた音楽とも相まって、それが昭和末期の彼の初期の一連の作品の大ヒットにつながったのだと思います。アニメというものを大きく変えた類い稀な人であるのは確かですが、平成以降は周囲に巨匠に祭り上げられ、良く分からない理由でプロの声優を使わずに魅力的な声でもなければ滑舌も悪い芸能人ばかりを起用して作品の質の低下を招き、さらに肥大化した自らの事務所の彼に憧れる大勢のアニメーターたちに仕事を与えるため(というより食わせるため)に過去の模倣と駄作を作り続ける悪循環に陥り、その結果鳴かず飛ばずの連続でしたからね。だいぶ話が脱線してしまいました。アニメに限らず毎年の様に名作映画が大ヒットしていた時代にわくわくしながら少年期を過ごし、あの頃を懐かしむ昭和アナログ世代の中年男の勝手な個人的感想なので他意はありません。ご不快に思われる方はこの駄文読み飛ばしてください。(笑)

この様な突風は飛行船関係者を大いに悩ませました。突風による事故は飛行空母アクロンと姉妹船メイコンも同様に見舞われ、やがて1933年4月、ついに最悪の事故が発生してしまいます。アクロンがニューイングランド沖合いで演習中突然の嵐に遭遇して墜落、搭乗していた指揮官モフェット海軍少将以下乗員73名が犠牲になったのです。(天候を無視した無謀な訓練が原因だった様ですが、軍人が無茶をするのはどこの国でも同じ様ですね。)

それから2年後の1935年2月、姉妹船メイコンもアクロンの後を追う様にカリフォルニア沖で墜落事故を起こし、(幸い気候が暖かい地域だったため、救命胴衣を着けた乗員の大半が海に投げ出されても救助され、乗員76名のうち、死者は2名だけでした。)この世界唯一の飛行空母アクロンとメイコンは、両艦ともわずか数年でこの世から消えてしまいました。

これ以後、アメリカ軍は偵察目的の大型飛行船の運用を中止してしまいます。それに時はすでに1930年代、飛行機の性能が著しく向上し、もはや飛行船は時代遅れの遺物としてその役目を終えようとしていました。

そして1937年5月、大型飛行船の息の根を止める、20世紀の歴史に残る重大事故が発生します。「ヒンデンブルク号爆発事故」です。


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上がヒンデンブルク号の爆発の瞬間を捉えた写真です。この事故で乗員乗客36名が亡くなりました。この事故の映像は当時ニュース映画として記録され、それを見た多くの人々に大きな衝撃を与えました。(同時にラジオでも実況中継されており、事故の瞬間を伝えるアナウンサーの涙声が有名ですね。動画などで検索すれば今でも見られます。)

この事故については、燃えやすい水素ガスに静電気が引火したものだという説が有力で、以後飛行船は不燃性のヘリウムガスに切り替えられたというエピソードは、歴史ファンの方ならば良く知られていると思いますが、不審な点も多いとの理由から何者かの謀略説も噂されています。なぜならこれまでの飛行船の事故は、先に述べた突風や嵐による墜落がほとんどで、内部のガスが自然現象で引火して大爆発を起こしたケースはこの事故だけだったからです。(謀略説の内容は保険金目的とか、ナチスと不仲だった当時のツェッペリン飛行船会社の社長がヒトラーの顔に泥を塗るためにしたなど、かなり荒唐無稽なものが多く、もちろん真相は定かではありません。)

この大事故は飛行船の歴史に一定の終止符を打つものとなりました。この事故の衝撃は世界中に喧伝され、ドイツをはじめ各国は相次いで飛行船の運用を中止、アメリカでも以後の全ての飛行船が、安全な不燃性のヘリウムガスを積めた小型の軟式飛行船(骨組みの無いガスだけを積めたタイプ)に切り替えられました。

こうして世界最初で最後の「飛行空母」は、本来の目的であった「戦時における敵地への強行偵察」という任務を一度もする事無く失われ、その後の航空機の発達とともに飛行船そのものも廃れ、いつしか忘れられていきました。しかし、そもそも飛行船というものを軍事利用しようという考え自体が無理なものなのです。


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現在わが国を含め、世界中で飛行船がかつての様に旅客を乗せたりする事はありませんが、今でも上の写真の様に企業の宣伝やPRのために結構使われています。やはり飛行船は大空をのんびりと優雅にふわふわと浮んでいる姿が良く似合いますね。(笑)
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テーマ : 歴史
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