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伊勢と日向 ・ 驚異の航空戦艦

みなさんこんにちは。

今回のびっくり兵器は、わが日本帝国海軍が造りだした世界史上唯一の航空戦艦「伊勢」と「日向」をご紹介します。

戦前のわが日本軍も、いくつかの非常にユニークな兵器を造り出していますが、その中でもこの「伊勢」と「日向」は最大最強のものではないかと思います。

軍艦にお詳しい方の間ではこの2隻は良く知られた艦なのですが、知らない方のために簡単にご説明すると、この伊勢と日向は艦の後半分(実際は3分の1ほど)を空母に改造した世界に例を見ない戦艦と空母の合体艦なのです。下に写真を載せますので、まずはその異様な姿をご覧ください。


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上の写真の1枚目は伊勢の方です。ご覧の様に艦の後方が小さな飛行甲板になっています。

しかしこれではあまりにも飛行甲板が短いですね。当然ここで疑問に思うのが、たったこれだけの長さの飛行甲板で、艦載機をどうやって発進させるのか?という点です。それについては2枚目をご覧ください。後部マストの下の4番目の主砲の両脇にカタパルト(油圧などの反動で飛行機を射出させる装置)が付いています。このカタパルトまで飛行機を運び(もちろん人力です。レール状の特殊甲板の上を滑らせる様に大勢で押していくのです。)カタパルトの上に機体を載せます。操縦士はこの時にエンジンをかけて合図と共に一気に飛行機を射出します。


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上がカタパルトを使用して水上機を射出させた様子です。この伊勢と日向はこの様な水上機を22機(2隻合わせて44機)搭載し、機体下部に250キロ爆弾などを装着させて発進させる予定でした。(カタパルトを両脇に付けたので、4番砲塔はほとんど砲撃に使えませんが、これは最初から犠牲にするつもりだった様です。)

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この伊勢と日向を含む戦前戦中の日本の軍艦について、詳しくお知りになりたい方は上の2冊が良書です。大戦中のわが日本帝国海軍のほぼ全艦艇が、2冊合わせて1000枚もの豊富な写真(驚くほどとても綺麗な写真です。)で詳細に説明されています。個人的には戦艦や空母などの大型艦の方よりも、軽艦艇編の方が興味深いです。こちらは駆逐艦や潜水艦以外の海防艦、水雷艇、駆潜艇、哨戒艇、魚雷艇といった小型艦艇や、潜水母艦、工作艦、給油艦、給糧艦、輸送艦などのあまり知られていないマイナーな特務艦艇まで全て鮮明な写真入りで掲載されており、艦船ファンにとっては貴重な資料ではないかと思います。ページ数は大型艦の方が460ページ、軽艦艇の方は480ページとボリュームも十分で、その割に価格も安いです。

それにしても、なぜ日本海軍はこの様な奇妙な艦を造ったのでしょうか? それについては太平洋戦争による戦局の悪化が大きく影響していました。ここで伊勢と日向の経歴をお話して置きましょう。

伊勢と日向は1917年(大正6年)から18年にかけて相次いで就役した当時の日本海軍が誇る最新鋭戦艦でした。完成時の全長は208メートル、排水量3万2千トン、主要装備は36センチ連装砲6基12門、14センチ単装砲20門、8センチ単装高角砲4門、速度23ノット、乗員1360名というものです。(ここで船の速度を表す単位である「ノット」について簡単にご説明しますが、これは1時間に1海里進む速さという意味です。1海里というのはおよそ1852メートルで、これは地球上の緯度の1分がちょうどこの長さである事から、位置をコンパスで測る艦船では単純な時速で速度を表すよりも都合が良いためにこの単位が使われているのだそうです。つまり時速で表せば1ノットは単純に1.852キロですから、完成時の伊勢と日向の速度は時速42キロ程度ですね。)


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上が竣工時の伊勢です。だいぶ形が違いますね。

この伊勢型戦艦が完成した時は第一次大戦が終わった時期であり、多くの犠牲を出したその反省から世界各国で軍縮の機運が高まっていた時代でした。その影響は日本にも及び、1922年(大正11年)日本を含む主要各国はワシントンで軍縮条約を締結、その結果日本海軍はこの伊勢型の後に建造中だった新型戦艦のうち、長門と陸奥の2隻を除いて全ての戦艦の建造を中止または廃棄する事になります。

この軍縮条約は1934年(昭和9年)に日本の脱退によって崩壊しますが、それまでの10年余り、各国は条約に従って一切戦艦の建造を行わなかったので、ネイバル・ホリデイ(海軍の休日)と呼ばれています。そして条約を脱退するまでの日本の戦艦保有数はこの伊勢型を含めて4タイプ合計10隻で、伊勢と日向は帝国海軍の主力戦艦として戦前の日本国民、特に軍国教育を受けた少年たちに広く親しまれた存在でした。

軍縮条約といっても、定められた各国の保有数を越える新型の艦艇の建造を禁止したもので、その間も軍艦の進歩は目覚しく、それに合わせて大改装する必要があり、全ての日本の戦艦も何度かそれを受けています。伊勢と日向もエンジン機関を交換して、それまでの4万5千馬力から約1.8倍の8万馬力にパワーアップし、欠点だった速度を23ノットから25ノット(時速46キロほど)まで上げる事に成功しました。また2つあった煙突を1本にまとめて艦橋も大型化し、航空攻撃に備えて対空兵装も高角砲を12.7センチ連装砲4基8門に強化、さらにそれまで無かった25ミリ連装機銃10基20門と、艦尾を8メートル延長して水上偵察機を発進させるカタパルトを新設し、水上機を3機搭載するなどしています。

これらの大改装により伊勢と日向は全長216メートル、排水量4万トン近い近代的な戦艦に生まれ変わりました。(エンジンの馬力が2倍近くになったのに速度がわずか2ノット、つまり時速でたった4キロほどしか上がっていないのは、上に述べた様々なものを増設したために艦の重量が8千トン以上も増えてしまったせいです。しかし広大な海の上で移動する艦船にとってはわずか2ノットの速度の違いが大きいのです。なぜなら敵艦隊との砲雷撃戦の際に、敵艦の放つ砲弾や魚雷を回避するのに雲泥の差があるからです。)


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上が大改装後の伊勢型戦艦の姿です。これぞ「戦艦」という力強さに満ちあふれていますね。

やがて時代が流れてわが国は太平洋戦争を引き起こします。伊勢と日向も戦艦部隊である第一艦隊の主力として待機しますが、時代はすでに航空機と空母機動部隊が海戦の主役となっており、これらの戦艦部隊は30ノット(時速55キロほど)以上の高速で活躍する空母や巡洋艦などの他の艦艇に速力で劣る上に多くの乗組員を必要とし、また多くの燃料を喰う割りに燃費も悪く、敵艦隊との砲撃戦ぐらいしか使い道がないなどの理由から、慢性的に燃料不足に悩んでいた日本海軍は戦艦を海戦に投入する機会に恵まれませんでした。

こうして出番も無く、美しい瀬戸内海に空しく錨を下ろしたままの伊勢と日向に思わぬ転機が訪れます。1942年(昭和17年)6月のミッドウェー海戦です。この海戦は参加艦艇約200隻、(水上戦闘艦艇107隻、支援艦船90隻以上)兵員10万という当時の日本海軍の可動全艦を投入した大作戦で、もちろん伊勢と日向も出撃しますが、結果は歴史好きの方ならご存知の様に、アメリカ軍に暗号を解読されて作戦が筒抜けだったわが日本軍は、待ち構えていたアメリカ軍機動部隊の攻撃を受け、主力空母4隻と重巡1隻、さらに280機もの艦載機を一挙に失う大敗を喫してしまいます。

当時日本は13隻の空母を保有していましたが、そのうち大規模な航空作戦を展開出来る50機以上の艦載機を搭載出来る大型主力空母は8隻で、残りは30機程度しか搭載出来ない小型空母3隻と、戦時には空母にするために国が助成金を出して日本郵船などに造らせた客船を改造した同じく搭載機数30機に満たない低速空母(大鷹「たいよう」型空母といい、3隻建造されましたが、元が客船なので速度は21ノット程度しか出ず、これらは実戦には使えず飛行甲板に航空機を並べて日本占領下の基地へ運ぶ輸送任務しか出来なかったそうです。)2隻だけでした。つまり全空母の3分の1、主力空母の半数を失ったのです。これほどの大損害は帝国海軍創設以来初めての出来事であり、海軍が慌てふためくのも無理ありませんね。

この敗北で4隻もの大型空母を失った日本海軍は、急遽空母を大増産する戦時建造計画を進めます。しかし空母の様な大型艦は完成までにどんなに急いでも2年はかかってしまいます。そこで日本海軍首脳部は、既存の艦艇のうち最も大型で使い道の無かった戦艦を空母に改造する事で工期を短縮し、一刻も早く空母として使う事を思い立ちます。こうして選ばれたのが伊勢と日向の2隻でした。

伊勢と日向は1942年(昭和17年)12月から相次いで空母への改造工事が行われますが、時間的な制約から全面的な空母への改造は、最初から新型空母を建造した方が時間も手間も掛からない事から見送られ、結局5番6番砲塔を撤去してその位置に飛行甲板を設けるプランに決定し、その結果あの様な姿になったのです。

こうしておよそ1年後の1943年(昭和18年)11月、世界に例を見ない2隻の「航空戦艦」が誕生しました。

しかし開戦から2年が経過し、すでに戦時態勢を整えたアメリカ軍の反撃が始まり、戦争の主導権は完全に日本の手を離れていました。わが日本軍は太平洋の各地で陸海ともに敗れ続け、ついには日本帝国が最低勢力圏と定めた「絶対国防圏」も破られてしまいます。せっかく航空戦艦に改造された伊勢と日向も載せる飛行機が無く、本来の目的であった艦載機を発進させてアメリカ艦隊を攻撃するという機会に一度も恵まれる事はありませんでした。彼ら2隻に出来た事は、飛行甲板に物資を積んで本土と南方占領地を行き来する物資輸送だけだったそうです。(戦艦でありながら輸送任務しか使い道がないとはただの輸送船と同じですね。今風に例えれば荷物を運ぶのにトラックでなくリムジンやロールスロイスを使う様なものでしょうか。笑)

1944年(昭和19年)10月、アメリカ軍はフィリピンにまで迫ります。ここを取られれば南方資源ルートは断ち切られ、日本の敗戦は決定的です。(すでに勝敗は決していましたが・・・)そこで日本海軍は残存艦隊の全てを投入して最後の決戦に挑みます。「捷号作戦」(しょうごうさくせん)の始まりです。(捷号作戦とは「勝利の作戦」という意味なのだそうです。それにまだ当時の日本軍は空母機動艦隊と航空部隊は壊滅していたとはいえ、戦艦や重巡洋艦などの大型艦を中心として、大戦中に新たに就役した新型艦も含めて60隻以上の戦闘艦艇が健在で、これらを結集して大水上部隊を編成し、さらにそれを大きく3つの艦隊に分けてフィリピン周辺の海で最後の決戦を挑んだのです。)

この作戦で伊勢と日向は上の3つの艦隊のうち、アメリカ艦隊を引き付ける囮として本土から出撃した17隻から成る小沢艦隊に所属し、開戦以来初めて大活躍します。指揮官松田少将の考案した「爆弾回避術」という航法(敵機が爆弾を投下する際に、狙いをつけるために必ず轟音とともに急降下してくる特性を逆手に取り、すぐに舵を切って回避する航法です。)で投下される爆弾を次々に回避し、航空戦艦に改造された時にさらに増設された高角砲や対空機銃、最新のロケット砲(当時は噴進砲「ふんしんほう」と呼んでいたそうです。)などの充実した対空兵装のおかげでほとんど損害も無く、かなりの敵機の撃退に成功したのです。


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上が対空戦闘を行う伊勢です。艦は撃ち出す高角砲と機銃の砲煙に覆われています。

しかし伊勢と日向の活躍も空しく、結局この捷号作戦においても航空戦力の援護の無い日本軍は参加艦艇の半数以上を失う大敗を喫し、生き残った艦艇は日本に逃れて南方資源ルートは完全に遮断され、ここに日本の敗戦が決定します。

伊勢と日向も作戦終了後本土に帰還しますが、南方資源ルートを失った結果、本土に逃れたこれらの残存艦艇も動かす燃料が無くなり、本土決戦のための水上砲台として係留されるままになりました。

そして1945年(昭和20年)7月28日、運命の時が訪れます。アメリカ海軍のハルゼー大将麾下の第38機動部隊の攻撃機およそ950機による「呉軍港空襲」です。この戦いで、伊勢と日向は栄光ある帝国海軍の主力戦艦として最後の戦闘に臨みます。


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上が軍港内で米軍機による激しい攻撃にさらされる伊勢です。燃料の無い彼らはただ雨あられと降り注ぐアメリカ軍機の爆弾を受け続けるしかありませんでした。しかしそれでも伊勢と日向は主砲とハリネズミの様にびっしりと装備した対空砲で一機でも多く敵を道連れにするべく沈没の瞬間まで果敢に応戦しています。そして数え切れない爆弾を浴びて戦闘不能になった彼らはついに大破着底し、その生涯を閉じました

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上は大破着底した日向です。

この空襲は日本の残存艦隊の全滅を目的として実行されたものですが、先に述べた様にほとんどの艦艇が燃料が無いためにただ海に浮かんでいるだけの存在でした。伊勢と日向も同様です。つまり極端に言えば、もはや必要ないにもかかわらずアメリカ軍は執拗にこれらの無力な艦艇に攻撃を加えています。しかしそれは裏を返せば彼らの恐怖心の表れであったのかもしれません。とりわけ、伊勢と日向の異様な姿に米軍パイロットたちはむしろ恐怖に駆られていたのではないでしょうか。

これはあくまで自分の勝手な想像ですが、彼らが

「沈め!沈め!この化け物め!」

と叫びながら爆弾を落としている姿が目に浮かぶ様です。

ともあれ、こうして世界唯一の航空戦艦伊勢と日向は失われ、わが国はその2週間後の8月15日の敗戦を迎える事になるのです。

敗戦後の昭和21年、伊勢と日向はサルベージで引き上げられ、解体されて正式にこの世から消滅しましたが、そのユニークな姿と性能に違わぬ激戦敢闘振りは、今次大戦において活躍する機会の少なかった日本戦艦の中でも特筆すべき存在だと思います。日本の戦艦といえば、日本人なら誰でも知る戦艦「大和」が有名で、そちらばかりが語られる事が多いのですが、かつてこんな誇るべき戦艦もいたのだという事実は記憶に留めて置くべきでしょう。

そして21世紀の今日、わが国の領海を守る海上自衛隊(いつまでこの曖昧な名称で呼ばされるのか。早く堂々と「日本海軍」と呼ぶ日が来る事を願ってやみません。)の最新鋭艦として、「いせ」と「ひゅうが」は再び誕生しました。


JS_Hyūga,_Ise_Bay_01

上が2009年(平成21年)に就役した「ひゅうが」です。兄弟艦「いせ」も、2011年(平成23年)に就役しています。全長197メートル、排水量約2万トン、速度30ノット、乗員350名、敵潜水艦を探索攻撃する対潜ヘリコプターを11機搭載し、日本が誇る最先端の電子ハイテク機器を数多く装備した最新鋭艦です。

無念の思いで沈んだ航空戦艦伊勢と日向は60年後の今こうして蘇り、新たな「いせ」と「ひゅうが」は再びわが国防衛の任に就いているのです。
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