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伊400 ・ 米国も驚嘆した潜水空母

みなさんこんにちは。

今回のびっくり兵器は、前回に続きわが日本帝国海軍についてお話いたします。今回の主役は世界で唯一の大型潜水空母「伊400」です。

この潜水艦も、軍艦にお詳しい方や、そうでなくても戦史や歴史好きな方ならば、その存在は知識としてご存知の方も多いと思いますが、このテーマでこの「伊400」型潜水艦を外しては語れないでしょう。まずはその姿をご覧ください。


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この潜水艦は、正式には「伊号四百型潜水艦」といい、同型艦3隻が建造され、太平洋戦争後期の1944年(昭和19年)12月末に1番艦伊400が就役し、翌年1月に2番艦401が、そしてもはや終戦直前の7月に3番艦402が就役しました。

全長122メートル、基準排水量3500トン(「基準排水量」とは、満載排水量から燃料と水を差し引いたものです。この艦の場合、満載排水量は5200トンにもなります。)というそれまで世界中で建造された潜水艦の中で最大の大きさを誇り、2012年に中国でそれを上回る大きさの潜水艦(この伊400よりわずかに大きいもので、弾道ミサイル用に造ったらしいですが、みなさんもご存知の様に自前の努力で独自に開発するという素養が無く、「ものづくり」の基本というものが全ての面で薄っぺらな中国のはロシア製のコピーか他国の模倣に過ぎず、単に「大きい」というだけで実戦ではわが国の対潜哨戒機部隊と潜水艦隊の敵ではありません。)が建造されるまで世界最大の潜水艦でした。速度は水上で18ノット(水中で6.5ノット)乗員150名、武装は53センチ魚雷20本、14センチ単装砲1門、25ミリ3連装機銃を3基も備えています。

これだけ見ると、「ただ大きいというだけではないか。」と思われてしまうでしょうが、この潜水艦の性能はそれだけではありません。なんと37500海里(約69450キロ、地球の1周が約4万キロですから1周半以上出来ますね。驚)という驚異的な航続距離を誇り、そして何より最大の特徴は、艦橋下部に設けられた格納庫に特殊攻撃機を3機搭載し、その長大な航続距離を活かしてはるか遠方の敵地を空爆出来るという点です。


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上の写真の1枚目が、この潜水艦に搭載するために特別に開発された特殊攻撃機「晴嵐」(せいらん)です。この機は最高時速470キロ(下のフロートを外せばゼロ戦並みの時速560キロにもなるそうですが、その場合帰りは海上に不時着するか、地上の基地に着いても胴体着陸するしかないですね。)で、250キロ爆弾を4発も搭載出来たそうです。2枚目はその晴嵐を格納庫から出した様子の模型です。(手前に写るクレーンは帰還した攻撃機を吊り上げて母艦に収容するためのものです。必要無い時は潜航の邪魔になるので折りたたまれます。)格納庫から出した攻撃機はカタパルトに載せられ、3枚目の写真の様に射出して発進します。

この様に水上機を搭載する潜水艦は、日本以外でも第一次大戦後に欧米各国で研究されたのですが、これらの国々はあまり熱心ではなく、事故や実益性の点で皆止めてしまっています。日本海軍だけが潜水艦への航空機搭載に熱心で、そのためこの種類の潜水艦を数多く保有して実戦に投入したのは世界でも日本だけでした。

また、日本海軍は戦艦や空母の様に「大和」「瑞鶴」といった固有の名称を潜水艦には採用しませんでした。理由は不明ですが、そのため当時の平仮名の最初の「いろは」から大きさ順に、排水量千トン以上を「伊」号、500トンから千トン未満のものを「呂」号、500トン未満の小型を「波」号と呼んで区別していました。

戦前戦中の日本の潜水艦は非常にたくさんのバリエーションがあり、型式も複雑でとてもここでは説明が困難なので割愛させていただきますが、太平洋戦争開戦時点における日本海軍の潜水艦保有数は64隻(そのうち伊号は48隻、呂号は16隻で、最も小型の波号は戦争後半から急造されたものです。そして開戦時の伊号潜水艦48隻のうち、35隻が水上偵察機1機を搭載出来るタイプでした。ちなみに大戦中に日本が建造した潜水艦は大小合わせて126隻にも上るそうです。)の勢力を誇っていました。

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ここで潜水艦というものがどんなものか簡単にご説明しましょう。潜水艦とは読んで字のごとく水中に潜って敵艦を魚雷で攻撃する軍艦の一種ですが、「潜水する」という目的のために当然の事ながら普通の艦船とは全く違った特殊な構造となっています。

そもそも潜水艦はどうやって浮いたり沈んだり出来るのでしょうか? それについては下の図をご覧ください。


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潜水艦は簡単に言えば二重構造になっていて、乗組員の居住スペースの外側、つまり艦の外殻に、上の図の様に海水を注入するタンクスペースがあり、潜りたい時は各バルブを開いてそこに海水を注入し、その重みで海中に潜ります。(ブクブク)そして浮上したい時は、艦内の強力なボンベで圧縮した空気を海水を注入したタンクに送り込み、排水弁を開いて注入した海水を外に押し出せばその浮力で浮かぶのです。

また動力はほとんどの潜水艦がディーゼル機関と電動モーターの併用で、その燃料タンクは上で述べた艦の海水注入スペースの内側に二重構造となって存在していました。ただし潜水している時は燃料を燃やすディーゼルエンジンは使えませんので、(理由は単純です。潜水するのだから煙を排気出来ないからです。)浮上して水上航行している時はディーゼルで走り、その間に発電機を回して蓄電池に充電し、水中航行の時には排気弁を閉じて充電した電動モーターで艦を動かします。(現代のわが国の全ての潜水艦も含め、世界中の通常型潜水艦も皆このタイプです。)

そしてもう一つ興味があるのが潜水艦の潜航深度、すなわち「どれくらいの深さまで潜れるか?」という点ですが、これは意外に浅く、この時代の潜水艦はおおむね最大100~200メートル程度だったそうです。(現代の潜水艦は当時の2倍程度の200~400メートルほどは潜れるそうですが、いずれにしてもあまり大差が無い様です。理由としては数千メートルもの深海に潜って海洋調査を行う特殊な潜水艇と違い、海の上に浮かぶ水上艦艇を攻撃するという性質上あまり深く潜る必要が無いためです。)

では潜水艦の乗り心地、すなわち居住環境はどんなものなのでしょうか? これについては一言で言えば「ひどい」と言う言葉が妥当の様です。特に第二次大戦時やそれ以前のものは居住性が劣悪で、兵器や貨物、燃料を大量に積み込む必要があるためにそれらにスペースが取られてしまい、艦内は湿気だらけで洗濯物も乾かせず、また燃料・排気・カビなどの臭気が充満しているのでそれらの臭いが体に染み付いてしまい、体を洗おうにも真水は貴重で入浴は制限され、乗組員は皆臭かったそうです。

またトイレについては排泄物を溜めるタンクがあり、一杯になると潜航中に先ほど述べた圧縮空気を送り込んで海中に放出されていました。(これは現代の潜水艦も変わらないそうです。)ただし戦闘中などは乗組員それぞれ持ち場を離れられないので、かつての帝国海軍潜水艦隊の乗組員の方々のお話などでは、空き缶やバケツに用を足す事も多かった様です。(しかしこれらが潜航や浮上の際にひっくり返ってしまう事が多く、その時は最も始末に困ったそうです。笑)

そんな潜水艦乗組員の過酷な状況を考慮してか、意外にも彼らの食事だけは海軍の中でも特別な配慮がされていました。食料不足に悩んでいた大戦末期の日本やドイツでも、潜水艦部隊には優先的に食料が配給されたそうです。ただし、狭くて環境の悪い潜水艦では新鮮な食べ物は出航後数週間で消費し尽くされるので、(1度出航すると、作戦期間は平均2~3ヶ月に及んだそうです。)その後は似た様な保存食がずっと出される事になります。


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上が乗組員の唯一の楽しみである食事中の様子です。皆さん笑顔ですね。(笑)

ちなみに大戦中の日本の潜水艦の場合、食事は主食に白米・乾麺、副食に乾燥野菜(切り干し大根など)と缶詰、漬物各種の他、比較的保存しやすい生鮮野菜としてタマネギとジャガイモ(とはいえこれらの生鮮野菜は一週間程度で底をついていた様です。)などを材料とした各種のメニューが提供されていたそうです。

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旧大日本帝国海軍の食事について詳しくお知りになりたい方は上の本が良書です。わが帝国海軍の食事に関する一切が、幕末の海軍創建から太平洋戦争敗戦までの全期間に亘って写真入りで詳細に記されており、ページ数は250ページ余りです。こうした分野にご興味をお持ちの方に良いと思います。

さて、話を伊400に戻しますが、この伊400型が建造された主な目的は、先に述べた様にその長大な航続能力を活かして敵国すなわちアメリカの沿岸部に浮上し、搭載攻撃機で奇襲攻撃をかける事でした。そして日本海軍はこの3隻の潜水艦を主力として思い切った作戦計画を立案します。それはなんと南北アメリカ大陸を結ぶ最も細い地帯のパナマ運河を攻撃し、水門を破壊してしまう作戦でした。

ここを破壊すれば、アメリカは大西洋に展開している艦隊をすぐに太平洋に差し向けられず、南アメリカ大陸を数ヶ月かけて大きく迂回する遠回りをせざるを得なくなり、日本にとって作戦上有利になります。海軍は同じく水上機を2機搭載出来る少し小型の潜水艦2隻を付けて合計5隻、攻撃機13機をもって攻撃を行う作戦計画を立案しましたが、時はすでに1945年(昭和20年)この頃の日本海軍はもう艦隊、航空部隊とも壊滅状態にあり、アメリカ軍のB29による本土空襲が始まって戦局は絶望的でした。そのうえ空襲で搭載機である晴嵐の生産工場が破壊されて積む攻撃機の数が揃わず、結局作戦は断念されてこの「パナマ運河奇襲作戦」は幻に終わります。

とはいえ水上艦艇のほとんどが全滅していた当時の日本海軍において、この伊400型潜水艦は数少ない貴重な戦力です。そこで海軍首脳部は作戦を変更し、日本本土に迫りつつあったアメリカ艦隊の集結地であった中部太平洋のウルシー環礁への奇襲攻撃を計画、それを実行に移しました。


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上がウルシー環礁に集結したアメリカの大艦隊です。

作戦には伊400と401が投入され、攻撃は8月17日と決定されました。そして7月下旬に両艦はウルシーへ出撃しましたが、8月に入って広島、長崎への原爆の投下、ソ連の対日参戦で戦争継続の不可能を悟られた昭和天皇がポツダム宣言の受諾をご聖断あらせられ、わが国は8月15日の敗戦を迎えます。昭和天皇のご命令により本土防衛軍400万と、アジア大陸や太平洋の各地に展開していた日本帝国陸海軍およそ270万の全部隊には一斉に停戦命令が発せられ、その命令はこの2隻にも届きました。そして両艦は直ちに作戦を中止して、ここに伊400型は1度も戦果を上げる事無くその役割を終える事になったのです。

その後この2隻には思わぬ運命が待ち受けていました。伊400は8月29日、本土から500海里付近までたどり着いたところでアメリカ駆逐艦に拿捕され、同じく伊401も同じ頃三陸沖でアメリカ軍に接収されてしまいます。そしてアメリカ軍関係者にその存在が初めて知られるのですが、彼らはこの2隻の巨大さに驚嘆し、また3機も水上機を搭載出来る点に大変な関心を示しました。


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上がアメリカ軍に接収された時の様子です。すでに降伏にあたって魚雷と晴嵐は海上投棄されています。アメリカ軍関係者もこの潜水艦の存在については全く知らず、彼らの表情を見ても分かる様にとても興味心身だった様子がうかがえます。

それからこの2隻は様々な技術調査のためにアメリカ本土まで回航され、終了後2隻ともハワイ沖で撃沈処分されました。それが日本帝国海軍最大にして世界で唯一の潜水空母の最後でした。

日本海軍潜水艦隊は世界有数の隻数とそれなりの戦果を誇ったものの、大戦後半には優秀なソナーやレーダーを完成させ、それらをいち早く有効活用したアメリカ軍の徹底した対潜哨戒によって次々に撃沈され、多くの乗組員が戦死しています。(大戦中に就役したものも含め、日本海軍が保有した全潜水艦190隻のうち100隻以上が撃沈されたそうです。これだけの損害を出したのは、当時の日本の潜水艦のスクリュー音が大変うるさく、潜航しても簡単にソナーで位置を知られてしまい、駆逐艦からの爆雷や対潜水艦用の攻撃機からの爆弾でほとんどが沈められてしまったからです。)そんな中でこの伊400型は終戦まで生き延びた幸運な潜水艦でした。

この伊400型潜水艦はその誕生が大戦末期であり、わずか3隻しか完成しなかった事から戦果を上げる事はありませんでしたが、日本海軍がそれまでに培った潜水艦建造技術の粋を集めた優秀艦であり、その点はアメリカも認めています。アメリカはこの潜水艦を接収した時に得たデータを後の自国の潜水艦技術に応用し、第二次大戦後の潜水艦の設計・運用姿勢に大きな影響を与えました。そしてそれが、後の核の時代の弾道ミサイル発射能力を持った現代のアメリカの戦略潜水艦を生み出す事につながったのです。(水上機をミサイルに変え、衛星で位置が知れてしまう地上発射の弾道ミサイルと違って衛星では探知出来ない海中からミサイル攻撃出来ますからね。)つまり、伊400の思想と技術は時代を超えて現代の潜水艦にも広く活かされているのです。


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