アレクサンドロス大王の戦い 4

みなさんこんにちは。

今回もアレクサンドロス大王の遠征の様子についてお話いたします。

グラニコス川の敗戦の一報は、「王の道」を通じてペルシアの都ペルセポリスに伝わっていました。この時のペルシア帝国の君主はダレイオス3世(紀元前380?~330)という人物で、即位してからまだ2年余りでしたが、事態を重く見た彼は自らアレクサンドロスと直接対決する事を決意し、バビロンに大軍を終結させて一路シリアへと出陣しました。

Darius_III.jpg

上の画像の中央にいる、戦車上のヒゲの人物がダレイオス3世といわれています。

その知らせはシリア進撃中のアレクサンドロスにも伝えられました。このシリア沿岸はまだペルシア艦隊が制海権を握っており、これと東から迫るダレイオス3世のペルシア地上軍が合流すれば、兵力に劣る彼は挟み撃ちに合ってこれ以上の南下は不可能となります。何としてもその前にダレイオスのペルシア軍を叩く必要がありました。彼は主力部隊を率いて戦場に向かいます。目指すはシリア北部の要衝イッソスです。

その間にダレイオス3世の大軍は先にイッソスに無血入城、アレクサンドロスを待ち受けました。紀元前333年10月、ここにイッソスの戦いの幕が切って落とされます。両軍の戦力はダレイオス3世率いるペルシア軍およそ10万に対し、アレクサンドロス軍は4万でした。

alexmosaic.jpg

上がそのイッソスの戦いを描いたとされるモザイク壁画です。これは後のローマ時代に、ベスビオ火山の噴火で一日で火山灰に埋まった、あの有名なポンペイの遺跡の邸宅の一つから発見されたものだそうですが、実は本当にイッソスの戦いを描いたものかどうかは良く分からないそうです。

さて戦いは、当初はるかに兵力に勝るペルシア軍が優勢でしたがそれも束の間、アレクサンドロスとその部下達の巧みな戦術により形勢は逆転、アレクサンドロス軍の大勝利となります。ダレイオス3世は逃亡し(彼はこの時、なんと自分の家族も捨てて逃げています。)指揮官を失ったペルシア軍は総崩れとなりました。この戦いにおけるペルシア軍の戦死者は5万に達し、負傷者もほぼ同数であったそうです。(アレクサンドロス軍の方は不明)

この戦いはアレクサンドロスにとって大勝利であっただけでなく、遠征当初から彼を悩ませていた戦費の問題を一気に解決させました。というのは、ダレイオス3世が軍資金として陣中に持参した莫大な金銀や、彼の大軍の補給用に準備された大量の物資と7千頭の家畜などを手に入れ、言わば「大儲け」したからです。

それだけではありません。先に述べた様に敵のダレイオス3世は、自軍が不利になると自らの家族である王母、王妃、二人の王女を陣中に置き去りにして都に逃亡しましたが、(敵に包囲されて助けたくても助けられず、そうせざるを得なかったのでしょうが。)これら敵王の大事な家族も人質として得たからです。後にこの二人の王女のうち、姉のスタテイラがアレクサンドロスと結婚する事になります。

それと反対に、敗れたペルシア側の衝撃は大変なものでした。建国以来初めて、王自らが率いる大軍が全滅に近い大敗を喫し、王は惨めにも逃亡してしまったからです。この事はそれまで絶対神聖な帝王と思われてきたペルシア王に対して失望と不信の念を抱かせただけでなく、長い間アケメネス朝に支配されてきた他の民族に離反の動きを作るきっかけとなりました。

さてイッソスの戦いで大勝利を収めたアレクサンドロスでしたが、彼の戦いは陸上だけでなく、海上でも展開されました。と言っても、アレクサンドロス自身が艦隊を率いて戦ったわけではありません。彼が艦隊を率いたのは遠征の最初にダーダネルス海峡を渡って小アジアに上陸した時だけで、彼は専ら地上で戦い続けました。

海の戦いは海を熟知した海洋民族に敵う者はいません。そしてこの時代よりはるか昔から、地中海世界で最大の海洋民族と呼ばれていたのがフェニキア人でした。フェニキアとは現在のシリアの沿岸部を指す古い地名で、アレクサンドロスが南下する上でどうしても攻略したいテュロス、シドン、アラドス、ビブロスなどの都市群が集中していましたが、それらのフェニキア都市はすべてペルシア側に付いており、先に少し触れた様に彼らを主力とするペルシア艦隊は、今だ地中海の制海権を握っていました。

Greek_Galleys.jpg

Trireme.jpg

この時代の船は「ガレー船」といい、上の様にたくさんの漕ぎ手でオールを漕いで進む自走能力がありました。もちろん海洋民族と言う点ではギリシア人も引けは取りませんでしたが、彼らの場合その行動範囲は、主にエーゲ海沿岸からイタリア半島、それにその周辺のシチリア、サルデーニャなどの大きな島々に限定されており、フェニキア人の様に黒海から地中海全域、さらに大西洋を出てイギリスの北海やバルト海までの広大な海域に進出するほどのキャリアは持ち合わせていませんでした。

PhoenicianTrade.png

アレクサンドロスのギリシア艦隊は海戦で何度も戦いましたが、陸上での戦いとは違ってその都度撃退され、彼らに太刀打ち出来ませんでした。そこで彼は方針を転換し、これらのフェニキア都市に使者を送って交易の自由を保証する事や、その他ペルシア側より有利な特権を与える事で、ペルシアからの離反と自分への寝返りを促します。

作戦は成功し、先に挙げた都市のうちアレクサンドロスの要求を拒絶したテュロスを除く、その他のフェニキア都市がアレクサンドロスの味方に付き、彼は新たにこれらのフェニキア都市の220隻もの大艦隊を手に入れ、海から背後を攻撃される心配が無くなりました。(ちなみに彼の要求を拒絶したテュロスは都市もろとも滅ぼされてしまいます。)

こうして地中海の制海権を握ったアレクサンドロスはさらに海岸沿いを南下し、ペルシア最西端の領土エジプトを目指します。

次回に続きます。
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