イスタンブールへようこそ ・ オリエント急行と皇帝

みなさんこんにちは。

19世紀の後半、イギリス、フランス、ドイツ、オランダ、ベルギーなど、アジア、アフリカ地域に広大な植民地を持つヨーロッパ列強諸国は、それら海外の植民地をめぐって激しい競争を繰り広げていました。いわゆる「帝国主義」の時代です。

これらの列強諸国では、海外植民地の鉱山や大農場で現地の住民を安い賃金と粗末な食事で働かせ、そうして得られた莫大な富を本国に持ち帰って資産家になった富裕層が政財界に台頭し、更なる利益の拡大を求めて植民地政策を推し進めていく様になります。

この様な世界の流れの中で、本テーマの主役であるオスマン帝国は完全にそうした動きに乗り遅れ、戦争には敗れ続け、列強諸国に次々に領土を奪い返され、かつて繁栄を欲しいままにした強大さは見る影もなく、この頃の帝国はヨーロッパ列強諸国の思惑と都合によって、かろうじて独立を維持している状態でした。

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上がオスマン帝国の領土の変遷です。すでに1841年までにエジプトをはじめとするアフリカも失い、ヨーロッパ側の領土であるバルカン半島においては、それに先立つ1832年にギリシャが王国として独立、さらに1880年代には、セルビア、ブルガリア、ルーマニアも相次いで王国として独立していました。(つまり、オスマン帝国が領土として保全していたのは、帝都イスタンブール周辺のトラキア地方一帯と、アナトリア半島から現在のイラク、シリア、ヨルダン、イスラエルと、イスラムの聖地メッカなどを含むアラビア半島の紅海沿岸、その反対側のペルシャ湾沿岸部のある中東地域のみだったのです。)

この頃オスマン帝国の皇帝だったのは、アブデュルハミト2世という人物でした。彼が即位した1876年頃は、オスマン帝国に初の近代憲法と多数決によって国策を決する帝国議会が設立され、人々が願った真の近代化が実現されるはずでしたが、彼はひたすら皇帝主導による専制国家に固執してこれらを全て否定し、憲法を無期限停止して議会も解散してしまいます。その後に彼が行ったのは30年に亘る長い独裁政治であり、その間人々は皇帝の行った内向きの圧政と弾圧に怯えて過ごす事を余儀なくされてしまいます。


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上がオスマン帝国第34代皇帝アブデュルハミト2世です。(1842~1818)2枚目の写真は馬車に乗ってモスクへ礼拝に出かけるアブデュルハミト2世です。大臣たちを従えて道を行く皇帝の行列の周囲を大勢の護衛兵が警護していますが、その外側で皇帝を見つめる人々の彼に対する目は冷たく、怒りに満ちたものでした。アンデルセンの童話に「裸の王様」というものがありましたが、この立派なひげもじゃの皇帝は彼に対する人々の視線に気づいていたのでしょうか?

これは自分の勝手な分析ですが、600年以上に亘る長いオスマン帝国の歴史は、建国から400年は拡大発展期、それ以後の200年は長期衰退期に分けられます。そしてこの長い衰退期に、オスマン帝国は政治、経済、軍事、外交の主導権をヨーロッパ諸国に取って代わられ、近代化にも立ち遅れ、人々に日々の生活の糧をもたらす生業(なりわい)となるこれといった産業も育たず、帝国庶民の生活は苦しく貧しいものでした。

当然国民の暮らしへの不満は、せっかく近代化しかけた帝国を元の時代遅れな体制に戻したアブデュルハミト帝と帝国政府に向けられていきます。皇帝はこうした動きを秘密警察と軍隊を動員して力ずくで押さえ込み、政権を維持し続けますが、それは同時に国民にオスマン皇帝家への反発心を根付かせて行く事になってしまいます。

「このままでは自分の代は良いとしても、後の世代にいつかわがオスマン家は国民に革命を起こされ、追放されてしまうかも知れない。」

いつしか皇帝はこうした不安を抱く様になり、それはやがて彼の思考の中で、「国民生活の向上のための新たな収入源の確保」という形に帰結します。

とにかく帝国は「お金が無い。」のです。度重なるロシアなどの周辺国との戦争による莫大な戦費と敗戦による賠償金、さらに彼の前の歴代皇帝たちが行った帝国近代化のため、ヨーロッパ諸国から借り入れた膨大な債務がオスマン帝国の国家財政を圧迫していたからです。しかし、先に述べた様に当時のオスマン帝国にはこれといった産業が無く、いわば対外的に「売る物」がありません。そこで皇帝が目を付けたのが「観光」でした。

この19世紀後半から20世紀初頭にかけての時代、特にヨーロッパにおいては1870年の普仏戦争(フランスとプロイセンとの戦争)を最後に、1914年の第1次世界大戦までおよそ40年以上に亘って大規模な戦争がない平和な時代が続きます。この間ヨーロッパ列強諸国では、先に述べた海外植民地経営によって財を成した新興富裕層が、古くからの支配層である王侯貴族たちの栄華を真似て広大な土地に巨大な城館を建て、毎日の様に豪華なパーティーを開いて優雅な生活を謳歌していました。


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上は19世紀末のヨーロッパ上流階級の人々です。男性はシルクハットにステッキとフロックコートやタキシード姿が定番でしたが、その奥方の女性たちは派手な絹のドレスにまばゆい宝石を散りばめたティアラやネックレスなどのジュエリーを身に付け、ファッションセンスを競い合いました。

彼ら新興富裕層は、植民地から上がるあり余る富を背景に湯水の様にお金をばら撒いていきます。豪邸に住まい、高価な衣服を身にまとい、最高級の酒と料理などの美食に明け暮れ、ついには爵位までも金で買う「にわか貴族」まで出現します。こうして物理的に欲しい物は何でも手に入れ、思いつくあらゆる物欲を一通り満たした彼らが次にその手を伸ばしたのが「旅行」でした。

「知らない国に行ってみたい。見た事のない景色や風景をたくさん見てみたい。」

こうした単純な欲求から、彼ら新興富裕層からなるヨーロッパ上流階級では海外旅行が大ブームとなります。折りしもヨーロッパ各国では鉄道の建設ラッシュであり、ヨーロッパ主要都市は線路でつながりつつありました。そうした「金持ち連中」の動きをいち早く掴み、当時最新のインフラであった鉄道を利用してビジネスを立ち上げた一人のベルギー人がいました。


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上がその人物ジュルジュ・ナゲルマケールスです。(1845~1905)彼はベルギーの実業家で、富裕層を顧客のターゲットにした豪華寝台列車を運行する「国際寝台車会社」を創業します。

このナゲルマケールスなる長い名前の人物は知らなくても(かくいう自分も全く知りませんでした。笑)彼が生み出した世界最高の豪華列車の名は、歴史好きの方であれば知らない人はいないでしょう。彼はあの「オリエント急行」の生みの親なのです。


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上が当時のオリエント急行の様子と運行経路、そしてポスターです。

このオリエント急行というのは、彼が創業した国際寝台車会社が運行する一連の列車群を指し、1883年に運行が始まりました。いくつかの路線に分かれていますが、主にフランスのパリからトルコのイスタンブールを結ぶものが主要路線で、その名の由来は最終目的地、オリエント地方の大都市イスタンブールを目指すという壮大なプロジェクトから名付けられました。

ナゲルマケールスは、ただ人を乗せて運ぶに過ぎなかったそれまでの鉄道の常識を破り、最高級ホテル並みの設備を備えた寝台客車と食堂車を連結した「走る最高級ホテル」ともいうべき豪華列車を考案し、富裕層向けのツアー旅行を企画したのです。

彼の読みは大当たりしました。この走る最高級ホテル「オリエント急行」はヨーロッパ中の王侯貴族や富裕層で大評判となり、予約が後を絶たないほどの大人気となります。

大評判となったこのオリエント急行に、皇帝アブデュルハミト2世は飛び付きます。オリエント急行の最終目的地はオスマン帝国の首都イスタンブールです。つまり、それに乗ってヨーロッパの富裕な人々が大勢来てくれるのです。当時のオスマン帝国にはヨーロッパに輸出して外貨を稼げるものなどほとんどありませんでしたが、首都のイスタンブールはもちろん帝国各地にはその長い歴史に培われた数多くの古代遺跡群をはじめ、風光明媚な土地がたくさんあります。見るものがたくさんあるのです。また、トルコ料理はフランス料理や中華料理と並んで「世界3大料理」に数えられるほどの珍味と美食にあふれる豊富なレシピとバリエーションを誇っていました。


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上はトルコ料理の数々です。トルコ料理で最も有名なのは2枚目の写真のドネルケバブですね。香辛料などで下味をつけた肉を大まかにスライスして積み重ね、特別な垂直の串に刺してあぶり焼きにしてから外側の焼き上がった部分を大きなナイフで薄くそぎ落として盛り付ける肉料理です。

皇帝はオリエント急行によってヨーロッパ中からたくさんの「観光客」を招き入れ、それらの観光客から得られる観光収入を落ちぶれ果てていた帝国の新たな財源とする方針を打ち出したのです。(幸いな事に、オリエント急行自体はオスマン帝国ではなく、ナゲルマケールスの国際寝台車会社が運営しているものであり、帝国は一切金をかけずに向こうから観光客が来てくれるシステムになっていました。)

皇帝のオリエント急行に対する期待は大きく、自らイギリスのロンドン・タイムズの記者を宮殿に招いてインタヴューに応じるほどでした。

「イスタンブールへようこそ。わがオスマン帝国は皆さんを歓迎し、全力でおもてなし致します。どうか心行くまで存分にお楽しみください。」

皇帝はその記者にこんなセールストークでも言っていたのでしょうか?(笑)

アブデュルハミト帝の観光政策で、オスマン帝国ではそれまでなかった観光業が成長します。ヨーロッパの富裕層の宿泊する豪華なホテルやレストランが各地に建てられ、大勢のトルコ人がスタッフとして雇われて収入を得るようになり、皇帝は暮らしに対する市民の不満をある程度緩和する事に成功したのです。また、それまで中東イスラム圏の人々が顧客の大半であったイスタンブールのグランド・バザールなどでは、ここを訪れたヨーロッパの富裕な観光客が、トルコ特産の絨毯や工芸品などの土産物を買っていってくれる新たな「お客さん」となります。

ヨーロッパ人たちも、アジアとヨーロッパの中間に位置する「文明の十字路」として、古代と中世、近代が入り混じった魅惑の国トルコ・イスタンブールを目指すオリエント急行の旅に多くの人々が魅了され、この列車に乗る事は富裕と特権階級のステイタスシンボルとして定着していきました。(ちなみに当時のオリエント急行の料金は、それに乗る富豪たちに仕える召使などの使用人の1年分の年収と同じだったそうです。)


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上はオリエント急行を表す国際寝台車会社の2頭のライオンの紋章と、最も人気が高かった水の都ヴェネツィアを経由するコースを走るベニス・シンプロン・オリエント急行の列車です。ダークブルーの外観に金文字の縁取りが並みの列車ではない事を象徴しています。

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上の1枚目は乗員スタッフのみなさんです。オリエント急行ではこの様にクルーがお客さんをお出迎えする慣わしです。みなさんにこやかな笑顔の中で、究極のサービスを極めたオリエント急行のスタッフとして誇りを持つプロ中のプロなのでしょうね。そして2枚目と3枚目は食堂車の様子です。(バーカウンターまで備えられています。オリエント急行では一般の列車の様に座席が並んだ「客車」というものはなく、こうした「食堂車」と、乗客がそれぞれ宿泊する個室の「寝台車」で構成されています。)

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上が乗客の個室が並ぶ「寝台車」です。格調高いマホガニーと、細かい彫刻で飾られたシックな調度品の数々、それらが暖かいランプに照らされて一層温もりを引き立たせます。まさに「走る最高級ホテル」ですね。

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このオリエント急行について詳しくお知りになりたい方は上の本が良書です。実際に何度もこの列車に乗られた方の著作で、豊富なカラー写真と車内の様子が詳しく記されています。ページ数は206ページで、恐らくオリエント急行について紹介した日本で最も詳細な本ではないかと思われます。

オリエント急行の殺人 (創元推理文庫)

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また、オリエント急行の名が付く作品で私たち日本人に最も馴染みが深いのは、なんといってもイギリスの女性推理作家アガサ・クリスティー原作の「オリエント急行殺人事件」ですね。彼女の最も有名な代表作とも言える作品でしょう。各社から出版されていますが、個人的には創元推理文庫のものが最もオーソドックスかつ、表紙のカバーイラストのセンスも良いと思うのでお薦めかと思います。1974年にアルバート・フィニー主演で公開された映画も名作です。彼女が創作した名探偵エルキュール・ポワロが乗り合わせたオリエント急行の車内でアメリカ人の富豪が刺殺され、12人の乗客が容疑者となります。犯人は一体誰なのか? みなさんもオリエント急行に乗った気分でクラシックの名曲でも聴きながら、コーヒーや紅茶を片手にミステリーに浸ってみてはいかがでしょうか。(笑)

このオリエント急行は、その後2度の世界大戦と東西冷戦、さらに自動車や飛行機の発達により次第に客離れが進み、残念ながら昔の華やかな豪華列車ではなくなっていきます。路線もどんどん短くなり、ついに2009年にパリとイスタンブール間の本線が営業を停止してしまいました。しかし、「オリエント急行」のネームバリューは今だに絶大で、戦前の本物の列車を使用して復元した支線は各地で運行されており、鉄道ファンに根強い人気を誇っています。みなさんもヨーロッパに旅行に行かれた際は、乗られてみてはいかがでしょうか。古き良き時代のヨーロッパを堪能出来る最高級のサービスがみなさんをお迎えして、まるで王侯貴族になった様な気分にさせてくれるかもしれませんよ。(笑)

次回に続きます。
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