日清戦争16 ・ 王妃殺人事件 あの女狐を抹殺せよ

みなさんこんにちは。

この日清戦争についてのお話も、いよいよ終わりに近づいてきました。すでに戦争そのものは、わが日本の勝利で幕を閉じた事はこれまでにお話してきましたが、今回はその日清戦争開戦のきっかけである朝鮮国の「ある一族」が、不和と内紛、そして謀略によって滅んでいく最初の発端となった事件を、日清戦争の番外編という形でご紹介したいと思います。それは「朝鮮王妃殺人事件」です。

事の起こりは日清戦争からさかのぼる事30年近く前の1866年(慶応2年 日本では明治維新の2年前です。)に始まります。この頃朝鮮国は、1392年に前王朝高麗を滅ぼして成立した李王朝の支配する王国であり、この時国王であったのは高宗(こうそう)という王でした。しかし、彼はまだ14歳の少年であり、当然国政など出来るはずがありません。そのため実際に朝鮮国の国政を担っていたのは、その高宗の父親である興宣大院君(こうせんだいいんくん)という人でした。

この年、朝鮮の宮廷に一人の少女が王の妃として入ります。その名は閔玆暎(びん ちゃよん)彼女はその出身一族の名字から、その後閔妃(びんひ)と呼ばれる様になります。


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上が若い朝鮮国王夫妻です。(注)閔妃の写真についてはいくつかあり、その中の一枚を上にお載せしましたが、彼女は後述する様に謀略により抹殺され、写真なども証拠隠滅のために失われてしまったので、上の女性が閔妃のものであるかは不明です。あくまで「伝 閔妃」としてご覧になってください。

朝鮮国王高宗(1852~1919)は李王朝朝鮮国26代国王で、同時に最後の王でもあります。しかし、彼は性格的に優柔不断で気が弱く、君主としては明らかに不向きでした。それに対し、王妃の閔妃(1851~1895)は夫とは全く正反対の性格で、意志が強く、さらにそれ以上に強い権力欲を持っていました。彼女は頼りない夫に代わって自らが朝鮮国の実権を握る「女王」になる事を狙って行動を開始します。

この閔妃は、もともと高宗の父である興宣大院君が、高宗の先代の王の外戚として勢力を振るっていた金家(この名字、朝鮮ではうんざりするほどとても多いですね。呆)を宮廷から追い出すために、さほど力のない地方の中クラスの家柄だった閔家の娘を息子の妃に選んだのですが、この選択は彼の生涯最大の過ちでした。先に述べた様に、この嫁は大変な権力欲を抱いており、やがて舅(「しゅうと」つまり義理の父ですね。)である興宣大院君を悩ます強敵となり、彼はそれから20年以上に亘ってこの嫁との権力闘争に明け暮れる事になるのです。


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上が問題のお二人です。以上が今回お話する当時の李王家の人々ですが、それにしてもこの王家、とにかく仲の悪い家族なのです。特に上の二人は、後に熾烈な権力争いを繰り広げる「仇敵」となります。といっても、実は彼らも最初から仲が悪かったわけではありませんでした。

もともと閔妃を王妃に据えたのは、摂政として国政を担っていた右の興宣大院君(1820~1898)であり、彼のおかげで国王の妃になれた訳ですから、閔妃にとっては大恩人なのです。しかし、彼女の結婚生活は決して幸せなものではありませんでした。なぜなら夫の国王高宗は側室が何人もおり、正妻である王妃の閔妃には愛情を持たなかったからです。(父親が勝手に決めた好きでもない女性と政略結婚させられたのですから無理もありませんね。しかし、これは父の興宣大院君に対する彼なりのささやかな反抗だったのかも知れません。)

その上、彼女を王妃に据えた興宣大院君自身も、閔妃を相手にしていませんでした。なぜなら彼は、先に述べた金家一族を宮廷から追い出したかっただけであり、彼にとって閔妃はそのための「道具」に過ぎなかったからです。国の実権は大院君が全て握っており、国王夫妻の生活(特に宮廷予算、つまりお金の事ですね)も大院君に支配され、これが、彼女には我慢がなりませんでした。そうして年を重ねていくうちに、閔妃は次第に義理の父を自分の前に立ちはだかる邪魔者として憎む様になっていくのです。


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上は当時の朝鮮王宮の正門の様子です。王宮は立派ですが、一歩外を出ればご覧の様に粗末で汚いわらぶきの家々(家とはいえない「小屋」ですね。)が並んでいます。当時の朝鮮の人々の貧しさが分かりますね。

1873年、国王高宗が成人しました。もう未成年だからという理由で王の父である大院君が摂政として君臨する大儀はありません。そこで閔妃は夫の高宗に働きかけ、大院君を隠居させてしまいます。それだけでなく彼女は大院君の側近らを全て宮廷から追放し、自らの実家である閔家一族30人以上を高官に採り立てて一気に朝鮮国の実権を握るのです。

そして彼女は、1874年に夫高宗との間に生まれた王子(後に純宗という名で皇太子となります。)を次の王位継承者にするため、朝鮮国の宗主国である清国からそれを認めてもらう事にも成功します(もちろん裏で多額の賄賂を清の高官たちにばらまいたのです。)

さらに彼女は、夫の高宗が手を付けた側室らも追放、特に王との間に子を産んだ側室をその子ともども暗殺してしまうのです。この様に自身を脅かす恐れのある者を次々と徹底的に粛清していく王妃のやり方に、夫の国王高宗はただ恐れるばかりで何も出来ず、妻の指図に盲目的に従うだけでした。

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上が朝鮮国王の高宗です。しかし、彼は閔妃と大院君の争いにただただ翻弄される無力な存在でした。(彼の表情を見て下さい。妻と父の板ばさみでかなりお疲れの様子です。)

名実共に朝鮮国の実権を握った閔妃とその一族は、わが世の春を謳歌します。特に国庫のお金を自由に使える様になった閔妃は、怪しげな占いや呪術に夢中になり(女性はこういうものが大好きですね。これは万国共通の様です。苦笑)国庫の数倍もの多額のお金をこれらに浪費、高官たちは閔妃に採り立ててもらうために競って贈収賄に走り、また宮廷を牛耳る閔家一族も、庶民が苦しい生活をしている中、俳優や歌手を宮中に招き、毎晩遅くまで豪華な宴を催して遊興三昧に耽り、起床はいつも午後で、宮廷は絵に描いた様な退廃と腐敗が蔓延していたそうです。

しかし、これを快く思わない存在がいました。誰あろう王の父興宣大院君です。

「あの小娘が! 誰のおかげで王妃になれたと思っておるか! このままあの女の好きな様にはさせておかんぞ。」

それから大院君と閔妃の20年以上続く長い権力争いが続きます。両者の争いは苛烈を極め、暗殺、処刑は言うに及ばず、クーデター、果ては宮殿の爆破まで実行されるのです。そうした彼らの権力闘争はわが日本と清国をも巻き込み、それが今回の日清戦争へと発展する大きな原因となったのでした。

さて、そうして時が流れて1895年(明治28年)4月、日清戦争は日本の大勝利に終わりました。それはこれまでお話してきた通りです。ではその頃、問題の李王家の人々はどうしていたのでしょうか?

実は、この時点に至るも閔妃と大院君の争いはまだ続いていました。そしてこの時点において優勢だったのは大院君側です。彼は日清戦争に勝った日本の後ろ盾を得て、今度こそ閔妃を追い詰めようと画策していました。もちろん閔妃の方もそれは百も承知です。しかし、これまで常に清国の力に頼ってきた彼女はこの時大きく不利でした。

「見ているがいいあの老いぼれめ。この国は私のものよ。誰にも邪魔はさせないわ。」

それでも彼女は諦めません。したたかな彼女は、頼りにならなくなった清国に代えて、なんと今度はロシアに接近し、ロシアの力を利用して巻き返しを図ろうと狙っていたのです。そしてすぐに彼女は動き出します。閔妃はロシア公使と密約を交わし、同年7月、ロシア公使と公使館警備のロシア軍部隊を使ってクーデターを起こし、首都漢城の宮廷を襲って大院君の後ろ盾である日本の傀儡政権を倒したのです。

このクーデターは直ちに日本政府の知る所となります。しかし、今回は日本政府もすぐには対応出来ませんでした。なぜなら閔妃の背後にはあの大国ロシアがいるのです。先の三国干渉でロシアの圧力に事実上屈服させられた日本としては、手が出せない状況でした。

そこで日本政府はある人物を特命全権公使として朝鮮国に送り込みます。その名は三浦梧楼(みうら ごろう)彼に与えられた任務は、情報の収集と今後の朝鮮へのロシアの影響を本国に報告し、それを元に、あくまで外交的に状況を日本側に有利な方向へ戻す事でした。


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上が新任の在朝鮮日本公使 三浦梧楼氏です。(1847~1926)彼は長州出身の元陸軍軍人で、幕末の動乱や萩の乱、西南戦争といった明治前期の国内反乱の鎮圧で名を挙げたやり手の将軍で、陸軍中将にまで昇進し、子爵位を賜りますが、同郷の山縣有朋と若い頃から仲が悪く、事ある毎に対立したために中央から左遷され、予備役に廻された異色の経歴の人物です。今回の公使任命も、彼を国内から遠ざけたいという山縣の意向が大きく反映された結果ですが、その選択が今回の重大事件を引き起こす事になります。

しかし、彼を朝鮮公使に任命した事は大きな過ちでした。彼は日本政府が考えていた外交的解決とは全く対極的な過激なやり方で、情勢を日本に有利な形にしようと目論んだのです。それはなんと「閔妃の暗殺」です。

「過去20年に及ぶ日清朝三国の間に横たわる問題は閔妃に始まる。つまり全ての諸悪の根源はあの王妃なのだ。このままあの王妃を生かしておいてはわが国はロシアの脅威にさらされる事になろう。それを絶つためにもあの女にはこの世から消えてもらわねばならん。あの女狐を抹殺せよ。」

彼は王妃に対してもはや「あの女」と呼び捨て、果ては「女狐」とまで形容して彼女の暗殺計画を練るのです。そう、彼は今は公使という肩書きですが、もともと生涯戦い続けてきた生粋の軍人であり、外交官ではないのです。そんな彼にとって、閔妃は古来国という国を渡り歩いてその国の君主をたぶらかし、その国を滅ぼしてまた別の国へと乗り移る伝説の妖怪「九尾の狐」にしか見えなかったのでしょう。

1895年(明治28年)10月8日深夜、彼は計画を実行に移します。三浦公使の命を受けた日本公使館警備の日本軍守備隊と、彼が極秘に集めた日本人壮士たち(彼らは別名「大陸浪人」と呼ばれ、その多くがかつて明治初期の日本国内の反乱で国内を追われた旧士族たちでした。彼らの思想は過激な超国家主義であり、ひとえに日本の帝国としての膨張拡大、やがて全アジアを日本の主導の下にまとめて西欧列強に対抗する後の「大東亜共栄圏」へと発展していくのです。そのために積極的に日本軍に協力して通訳や諜報、後方攪乱、特務工作などに従事した放し飼いの「特務機関員」でした。)20名以上が、あらかじめ買収しておいた朝鮮の王宮警備の親衛隊の手引きで首都漢城の王宮を急襲したのです。


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上がその時の様子を描いた絵です。日本軍守備隊は王宮全域を占拠し、実際に閔妃を襲撃した実行犯は三浦公使配下の大陸浪人たちでした。上の絵では襲撃する日本人壮士らは侍の格好で描かれていますが、襲撃現場に遭遇した人々の証言では、実際に彼らはこれに近い装束で、手に手に日本刀で武装して閔妃を殺害した様です。

寝込みを襲われた閔妃は惨殺され、その遺体は証拠隠滅のために石油をかけて焼却されてしまいます。その最後はとてもあっけない、それでいて凄惨なものでした。

さて、この事件に慌てたのが本国の日本政府です。またも日本政府を悩ませる事件が発生し、しかもそれが朝鮮公使自らの主導で行われた謀略であったからです。すでに事件は朝鮮在住の欧米ジャーナリストによって欧米諸国に伝えられ、特に閔妃とつながっていたロシアの今後の出方も予想が着きません。とりあえず日本政府は三浦公使を解任して、今度は生粋の外交官である小村寿太郎外務省政務局長を後任の朝鮮公使に任命、三浦以下今回の事件に関わった軍人、壮士ら48名が謀殺罪で起訴され、広島監獄に収監されますが、その後の裁判で証拠不十分により結局釈放され、事件の真相は謎に包まれたままうやむやになってしまいます。

さて、この事件でまたもひそやかな笑みを浮かべていた人物がいました。閔妃と長く争ってきた興宣大院君です。

「ついにやった。あの女を始末してやったぞ。わしはあの女に勝ったのだ。これでこの国は再びわしのものじゃ。」

しかし、事態は彼の思う様には進みませんでした。そう、彼はこの時すでに75歳の老齢で体調を崩しがち、死期が迫っていたからです。その上彼の息子である国王高宗も、この頃には40代の成熟した大人に成長していました。高宗はあれほど恐れていた妻が死に、年老いた父の命も長くは無い事を見越し、今度こそ朝鮮国王として自分が朝鮮国の真の支配者になろうとこの時初めて決心し、父への対抗を公然と決意しました。

「何もかも、全ては父上の所業から始まった。もうあなたにこの国を好きな様にはさせない。」

高宗は父大院君を李王家の離宮の一つに幽閉させ、今度は安全なロシア公使館に居を移してそこで政務を執り行う事にしたのです。そこで興宣大院君は3年後の1898年、78歳で失意の内に亡くなります。しかし、その葬儀に息子高宗は一切出席しませんでした。

1897年10月、長い間悩まされ続けて来た妻と父の争いの呪縛から解放され、ようやく自由になった高宗は、今度こそ自分が思い描いてきた理想の近代国家を作り出すべく動き出します。彼は新しい理想の国家として、隣のわが大日本帝国に倣い、国号を「朝鮮」から「大韓帝国」と改め、自らその初代皇帝に即位したのです。


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上が国王から皇帝に即位した時の高宗です。古い装束を脱ぎ捨て、近代国家の君主にふさわしい大礼服に身を包んでいます。これ以後彼は「高宗光武帝」と呼ばれる事になります

しかし、彼が目指した理想の国は、その模範とされた国にとって許すべからざるものでした。その模範となる国とは誰あろうわが大日本帝国です。そしてこの哀れな王様が夢見た理想の国は、短くも儚い運命で終わる事になるのです。

次回に続きます。
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