怪物ミノタウロスの住む迷宮 ・ クノッソス

みなさんこんにちは。

しばらく日本関連のお話が続いたので、今回から気分を変え、新たなテーマとして「世界の宮殿」と題するシリーズを始めました。かつて世界中の王侯貴族たちが、その富と権力にものをいわせ、競って建てた多くの宮殿、それらは一体いつ、誰が、どの様な経緯で築いたのでしょうか? そしてその宮殿ではどの様な歴史上のドラマが繰り広げられたのでしょうか? それらを一話完結でお話して行こうと思いますので、ご興味を持たれた歴史好きな方や、調べもので検索された方などのお役に立てれば幸いです。(いつもながら自分の気まぐれで唐突なテーマ選定で恐縮です。汗)

では、そもそも宮殿というものは、歴史上いつ頃から造られる様になったのでしょうか? 人類の歴史というものが「文明」という形ではっきりとその姿を表すのが紀元前4千年頃、つまり今からおよそ6千年前といわれています。その時代を代表するのが古代エジプト、メソポタミアです。他に、私たちがいわゆる「四大文明」として学校の歴史で教わったものに、インドのインダス、中国の黄河文明がありますが、インダスの方は紀元前2600年頃、つまりエジプトやメソポタミアよりも1400年ほど後から、黄河文明はその年代特定が曖昧で(中共は紀元前7千年頃からといっていますが、あの中国の言っている事なので信用なさらない方が良いでしょう。)これらを一括りにしてしまうのは年代的にあまりにも強引に過ぎると思われます。たまたま、これらの文明が大河を源に形成された事から、教育上一緒に教えた方が都合が良いとの、いかにも文部官僚的な発想からそうなったのでしょう。)

その古代エジプト、メソポタミアですが、先に述べた様におよそ6千年前には、王などの指導者の下に、極めて原始的とはいえ国家としての形がすでに出来ていたそうです。その後、両文明で誰もがご存知のピラミッドや、壮麗な神殿が数多く建設されていくわけですが、これらはそもそも宮殿ではありません。もちろんエジプト、メソポタミア両国においても、それぞれを治めた王の住む宮殿はあったでしょう。しかし、はっきりと宮殿と呼ばれるものは跡形もなく残っていないのが事実です。

それでは、歴史上はっきりと王や君主が住んでいた宮殿として最古のものは一体どこにあるのでしょうか? それが今回からお話する宮殿シリーズの第一回目、ギリシャ・エーゲ海に浮かぶクレタ島の「クノッソス宮殿」です。


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上がそのクレタ島とクノッソス宮殿の位置です。

このクレタ島は、ギリシャ・エーゲ海で栄えた「エーゲ文明」の一つである「ミノア文明」の中心で、その歴史は先に述べたエジプト、メソポタミアとほぼ同時期の紀元前3千年頃にまでさかのぼるものですが、一般の義務教育の段階ではこれらを教わる事はなく、大学以上の高等教育の場で教わる以外では、私たち一般の日本人にはほとんど馴染みがないものです。(その理由は単純です。このエーゲ文明は海を中心に発展していますが、先の「四大文明」は全て大河の流域に栄えた事から、子供には教えやすく、そのために省略されているからです。それに、古代ギリシャといえば、アテネとスパルタに代表される都市国家「ポリス」の時代がその後にあり、「民主主義」を教える上で、歴史の授業での混乱を避けるためもあったのでしょう。そのためか、実際多くの私たち日本人の感覚では、古代ギリシャ時代というのはアテネとスパルタの時代から始まるものだという印象があるのではないか思いますが、これらはエーゲ文明よりはるか後の紀元前1千年以降、今回のお話よりずっと後の時代の事であり、古代ギリシャの歴史はそれよりもはるかに古いのです。)

このクレタ島は、ギリシャ本土とエーゲ海の大小220以上の島々をもって形成するギリシャ共和国の中で最大の面積を持つ島です。(大きさは日本の兵庫県とほぼ同じくらいです。)島全体の人口はおよそ62万人余り(2011年調査)このクレタ島で最大の都市は、同島のほぼ中央に位置するイラクリオンで(人口14万ほど)このイラクリオンがクレタ地方の中央行政府(つまり、日本でいう所の「県庁所在地」)となっています。


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上がイラクリオンの街の全景と港の様子です。港の入り口にある古い城塞は「クールス要塞」といい、およそ500年前にこの地を支配していた海洋都市国家ヴェネツイア共和国が軍事基地として築いたものです。(海の青さとその美しさに注目して下さい。まさにエメラルドグリーンです。古代も今も、この海の美しさだけは何一つ変わってはいないのでしょうね。)

今回のお話の主役であるクノッソス宮殿は、この美しい港町イラクリオンから5キロほど内陸にある古代遺跡です。


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上がクノッソス宮殿の全景と、復元想像図です。東西約180メートル、南北180メートルと、面積はそれほど巨大なものではありませんが、宮殿は複雑に建て増しされた数階建ての複合構造で、大小あわせて1000以上の部屋から成っていました。

といっても、宮殿が最初からこの様な形で造営されたわけではありません。ここに最初に宮殿が建設されたのは、ミノア文明中期の紀元前1900年頃、つまり今からなんと3900年前といわれています。そしておよそ280年後の紀元前1625年頃に発生した地震と火災により最初の宮殿(旧宮殿)は倒壊してしまい、その跡地に再び新しいものが「新宮殿」として建設されたそうです。

当時クレタ島は、すでに地中海交易の中心地として発展していました。それが、この付近でミノア文明が繁栄する大きな原動力になったわけですが、その交易によって富を蓄えた者が人々を従えて「王」となり、この地に宮殿を建設したものと考えられています。

ただし、この宮殿はその全てが王家一族だけのものであったのではありません。宮殿は王家の住まいであると同時に、王国を統治する中央政府であり、また神に祈りを捧げる神殿でもありました。さらに交易によって各地から集められた品物を納める貯蔵庫、そして異国の商人をもてなす迎賓館としての機能も果たしていたのです。そのため宮殿内には、政治を司る役人たちや、神事を司る神官、王家に仕える家臣や女官など、宮廷を支える多くの人々の部屋が整然と配置され、やがて王国の力が強大になり、人口も増えるに従って従来の部屋だけでは足りなくなり、増築が繰り返されて上の様に2階から5階建ての複雑な構造になっていったのです。

最盛期、このクノッソス宮殿とその周辺にはおよそ4万人ほどが暮らしていたと推定されています。そして、宮殿が王国の中心として存在していた紀元前1900年から1375年までのおよそ500年以上もの長い間、王国ではほとんど戦いも無く、外敵の侵略も受けず、王国は平和と繁栄を謳歌していました。(その証拠に、宮殿には防御のための城門や城壁などが存在せず、出土品も剣や甲冑などの武器の類いは極めてわずかでした。)

このクノッソス宮殿に代表されるクレタ島ミノア文明は、私たちが良く知る古代ギリシャ、すなわちアテネやスパルタなどの時代よりも前に栄えたものであり、その後に興ったこれらの古代ギリシャ文明の母体ともなったものですが、その威光はそれ以後のギリシャの人々に強烈な影響を与えました。とりわけ、このクノッソス宮殿の複雑に入り組んだ構造は、「迷宮」として古代ギリシャ神話の題材の一つになっています。それが「怪物ミノタウロス」の物語です。

その物語とは、要約するとこんなお話です。

ギリシャ神話における最高の神ゼウスと、その妻エウロペの子であるミノスは、クレタの王位をゼウスから授かるために海の神ポセイドンにその仲介を願います。ミノスはその謝礼(というより「賄賂」)として、ポセイドンの大好物であった立派な牡牛を生贄として捧げると約束し、彼はクレタ王となります。しかし、ミノス王はポセイドンに生贄として捧げるはずの牡牛があまりに立派だったため、惜しくなった彼はそれを自分のものにしようと別の牡牛を生贄として捧げてしまうのです。

これを知ったポセイドンは激怒し、罰としてミノス王の後を継ぐべき子供を醜い化け物として誕生させてしまいます。やがて生まれた子供は、なんと身体は人間だが、頭から上は「牛」の姿をした「怪物」でした。ミノス王の名にちなんで「ミノタウロス」と名付けられた子は、成長するに従い手のつけられない凶暴さと残忍さで恐れられ、困り果てたミノス王は、この怪物を閉じ込めるために迷宮「ラビリントス」を造らせ、ミノタウロスを鎮めるために毎年各地から若い男女7人ずつを生贄に捧げる様命じます。

そして、その生贄の一人として捧げられるはずだったアテネの若者テセウスによって、ミノタウロスは退治されるというストーリーです。(あくまで神話ですので、設定はとんでもなく支離滅裂なものです。笑)


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上は出土したギリシャ時代の壷に描かれた「ミノタウロス退治」の絵です。

先に述べた様に、クノッソス宮殿は神殿でもありました。そしてその神殿では、神々に捧げる生贄として牡牛が使われ、「ラブリュス」と呼ばれる両刃の斧で牛の頭を落として祭壇に祭る習慣があった様です。これを見たギリシャ本土の人々が、想像の翼を羽ばたかせてこの物語を創作したものと考えられています。そしてクノッソス宮殿には、その両刃の斧であるラブリュスが紋章としてあちこちに飾られ、それが「迷宮」を意味する英語の「ラビリンス」の語源になったといわれています。

この様に、当時のエーゲ海周辺に大きな影響を与えたクノッソス宮殿とその王国ですが、その繁栄も突如終焉を迎える事になります。紀元前1375年頃に発生した大火災により再び宮殿は崩壊してしまい、宮廷と都は別の地に移され、これを契機にミノア文明は徐々に衰退の道を辿って行く事になるからです。(現在見られる遺跡には、この時の火災で焼け焦げた跡が宮殿の至る所に残っています。)ちょうどその頃、ギリシャ本土では新たにミケーネ文明が興隆し、急速に勢力を拡大していました。そして紀元前1100年頃、ミケーネ軍はクレタに侵攻、これを征服してミノア文明は滅亡してしまうのです。

それから時は流れ、アテネとスパルタ、ペルシャやローマ、ビザンツ、ヴェネツイア、オスマンなど、クレタ島の支配者はめまぐるしく変わり、クノッソスの迷宮は人々の記憶から忘れ去られ、宮殿は3500年もの間土砂に埋もれていました。

しかし、時は20世紀の始まる1900年、この伝説の宮殿は神話の世界から再び現世に蘇ります。イギリスの考古学者アーサー・エヴァンズの発掘により、宮殿は3500年の時を越えてその姿を現したのです。


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上がクノッソス宮殿の発見者であるアーサー・エヴァンズ博士です。(1851~1941)出土した壷を眺めて思考に耽っているところでしょうか。彼はこのクノッソスを含む多くの考古学的功績により、1911年にイギリス王室から「サー」の称号を賜ります。

エヴァンズの発掘によって、遺跡は上下水道、水洗トイレ、浴室まで完備した驚くべき全貌と、数え切れない金銀宝飾品の数々、出土品で世界を驚かせます。しかし、考古学者であるエヴァンズはもっと別なものを欲していました。それはこの時代の様子を記した記録、すなわち文字を刻んだものです。そしてほどなく、彼はその最も欲していた文字が刻まれた粘土板を大量に発見するのです。

これらは線で刻まれたもので2種類あり、エヴァンズは古い時代のものを「線文字A」それより後のものを「線文字B」と名付け、その解読にその後の人生を捧げますが、残念ながら彼は存命中にその目的を達成出来ずに90歳で亡くなります。(彼の死後、第二次大戦後に「線文字B」の方は別の研究者によって解読され、この時代の様子を知る貴重な資料となりますが、「線文字A」の方はまだ解読されていないそうです。もしこれが解読されれば、あのエジプトのヒエログリフ解読に匹敵する大発見になるといわれています。)

こうして、世界考古学史上に多大な功績を残したエヴァンズでしたが、その半面で現代なら考えられない様な取り返しの付かない過ちを犯してもいます。それは、下に載せた写真にあるように、自分の想像で勝手に遺跡に手を加えて「復元」してしまった事です。


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上の一連の画像は、現在のクノッソス宮殿の様子です。写真で見ると、宮殿内の壁などに色鮮やかなフレスコ画が描かれていますが、これらがエヴァンズが想像で勝手に復元したものです。(3500年以上前に放棄され、土砂に埋もれていた遺跡にこんなに綺麗な壁画が残っているわけがありませんからね。笑 さらに外の太い円柱などは、なんとコンクリートで復元したものだそうです。)

貴重な遺跡にこんな事をしてしまったために、エヴァンズ博士は死後、考古学界から厳しく非難される事になってしまいます。それだけではありません。このクノッソス宮殿は、みなさんご存知のあのユネスコの「世界遺産」の登録リストからも除外されているのです。理由はこれらの復元により、古代遺跡としてのオリジナリティーが失われてしまったからです。

実はこのクノッソス宮殿について、もう一人の人物が目をつけていました。それは歴史好きなら誰もが知る、あのトロイの発見者ハインリッヒ・シュリーマンです。


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上がそのハインリッヒ・シュリーマンです。(1822~1890)彼については、あの伝説の「トロイの都」を発見し、少年時代の夢を叶えた人物としてあまりにも有名ですね。ドイツの貧しい牧師の子に生まれ、大変な苦労をして巨万の富を築き、その財を古代への夢に捧げた事は良く知られています。(ちなみに彼は1865年にわが日本にも滞在しています。幕末の動乱に揺れる日本の姿は彼の目にどんな形で映ったのでしょうか。)また彼は語学の天才で、なんと18ヶ国語を話せたそうです。

シュリーマンは、先にお話したエヴァンズよりはるかに年長の先輩考古学者でした。すでにトロイやミケーネの発掘で大成功を収めていた彼が次に「狙っていた」のが、ミノタウロス伝説で有名なクノッソスを含むクレタ島だったのです。しかし、遺跡の発掘には莫大な費用がかかります。なぜならまずは発掘予定の土地を買い占めなくてはならないからです。その価格が、本来実業家でお金にシビアであったシュリーマンにとっては高すぎて当時の地権者たちと合意出来ず、彼はクノッソス発掘を断念せざるを得なかったそうです。

歴史好きなみなさんも、ギリシャに旅行される機会があればエーゲ海クルーズなどがお薦めです。そしてぜひクレタ島とクノッソス宮殿も訪れてみてはいかがでしょうか? もしかしたら、下のイラストの様な伝説の怪物ミノタウロスが、みなさんを出迎えてくれるかも知れませんよ。(笑)


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次回に続きます。
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