海の底に眠る悲しき美女の宮殿 ・ アレクサンドリア

みなさんこんにちは。

今回お話する宮殿は「絶世の美女」としてその名を歴史に刻むエジプト女王クレオパトラが住んだアレクサンドリアの宮殿をご紹介したいと思います。

クレオパトラといえば、なんといっても先に述べた「絶世の美女」という形容詞が古くから全世界に共通していますね。そして、それはその劇的でドラマチックな生涯と相まって、彼女の死から2千年もの間伝説として人々に語り継がれてきた事は、歴史好きでなくても誰でも知っていると思います。

しかし、それはあくまでも伝説の話。実際の所は彼女がどれほどの美女であったか? いや、そもそもどんな顔立ちをしていたのか? など、もちろん誰も知る由もありません。(笑)歴史上に登場する女性の中でおそらく最も有名な人物でありながら、その顔立ちを伝える物的な証拠は、彼女がエジプト女王として在位中に発行された不鮮明な横顔が刻まれた貨幣しかないのが実情だからです。(もちろん、彼女を描いた絵や彫刻は数多く存在しますが、それは全て後世の画家や彫刻家たちがそれぞれ自分たちなりに想像したものです。)


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上がクレオパトラ(紀元前69~紀元前30)と伝わる女性の横顔が刻まれた銀貨です。他にもいくつかの種類があります。(髪形を見れば明らかに女性であり、貨幣には在位中のその国の君主の顔を刻むのが普通ですから、女王クレオパトラ本人とみて間違いないでしょう。)

そうしたミステリアスな所もクレオパトラの魅力の一つなのだと思うのですが、彼女についてのエピソードを語れば枚挙に暇が無いので(笑)ここでは割愛させていただくとして、まずはこのクレオパトラという人物の経歴その他、事実上の確かな事柄から本テーマに話を移して行きたいと思います。

彼女の正式な名は「クレオパトラ7世」といい、プトレマイオス朝エジプト王国最後の女王です。(この程度の事は歴史好きな方であれば良く知られた事ですね。)彼女の王家プトレマイオス王朝というのは、あのアレクサンドロス大王の少年時代からの古い友人で、成長してからは側近中の側近としてアレクサンドロスの大遠征に付き従い、大王の死後も生涯不変の忠誠を守り通した将軍プトレマイオスが紀元前306年にエジプトに開いた王朝であり、同時に古代エジプト最後の王朝でもあります。


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上がそのプトレマイオス(紀元前367~紀元前282)の横顔が彫られた金貨です。彼はアレクサンドロス大王が最も信頼した部下であり、大王からエジプト総督兼エジプト方面軍司令官に任じられていました。その後、大王が32歳の若さでこの世を去ると、彼を含む部下の将軍たちの合議制によって帝国を運営して行こうと提案しますが、野心に燃える他の将軍たちとの調整が上手く行かずにそのプランは破綻。結局後継者争いとなり、彼は大王から賜った任地エジプトに自らの王朝を打ち立て、エジプト王(ファラオ)プトレマイオス1世として即位する事になったのです。クレオパトラにとっては偉大なご先祖様ですね。(笑)

エジプト王となったプトレマイオス1世は、君主としても優れた人物でした。彼は自らの王国の首都を、大王が築いたアレクサンドリアに定め、大王のエジプト支配の軍事拠点の一つに過ぎなかったこの街を、周到な都市計画に基づく壮麗な都に作り変えます。宮殿、神殿の類いはもちろん地中海に面した大規模な港湾、市民の暮らしに欠かせない市場(マーケット)学校、図書館、裁判所、病院、劇場や競技場などの娯楽施設も次々に建設され、アレクサンドリアは人口20万を超える地中海一の都に発展したのです。


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上がプトレマイオス1世によって拡大されたアレクサンドリアの様子です。古代からエジプトは、ナイル川流域の農地からもたらされる農産物に恵まれた豊かな国であり、さらに大規模に整備拡張されたこの街には、東西交易の中継地という絶好の地理的要件も相まって国内外から多くの商人たちが集まりました。先に述べたエジプトの農産物はもちろん、東洋と西洋の様々な品々が港や市場に集められ、それらを商い売り買いする多くの商人たちによって活発な商取引が行われました。この時代、すでに商取引は「お金」すなわち貨幣によってやり取りされており、うなるほど大量の金貨や銀貨が街の中を行き交います。プトレマイオス王朝は彼ら商人たちから関税と売り上げの割合に応じた税を徴収する事で莫大な富を得、それがエジプト王国の大きな財源となります。そして、その都アレクサンドリアは最盛期の紀元前200年頃には人口50万を越える大都市となり、あのローマが興隆するまで地中海世界最大の都として繁栄を謳歌し続けるのです。

さて、この様に優れた君主が華やかな都を建設し、大いに富み栄えたというだけなら、そうした例は他にもいくつもあります。しかし、プトレマイオス1世はアレクサンドリアをこれまでに築かれた他のどの都とも違う、文化と学問に秀でた学術都市にすべく、おそらく歴史上初めてといわれるある巨大な公共施設を建設します。それが「アレクサンドリアの図書館」です。


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上がアレクサンドリアの図書館内部の様子を描いたイラストです。歴史好きかつ読書好きな方であれば「アレクサンドリア」と聞いて思い浮かべるものの一つがこの図書館でしょう。但し、図書館といっても、この時代の書物は今日私たちが手にする本、すなわち「綴じ本」がまだ考案されておらず、エジプト原産のパピルスや羊皮紙に書かれた「巻物」でした。(その名残りとして、長編の本をいくつかに分ける際に「第何巻」とか呼びますね。ただ巻物では綴じ本の様にタイトルが一目で分からず、ジャンルごとに分かれた書棚にぎっしり詰まれた巻物を一つ一つ見ていかなくてはならないので、閲覧したい書物を探すのは厄介だったでしょうね。笑)

このアレクサンドリアの図書館は蔵書70万冊を誇り、文学、歴史、天文学、地理、数学、医学その他あらゆる分野の書物が集められ、一般市民にも無料で解放されました。そして多くの名だたる学者たちがアレクサンドリアに滞在して研究を重ねたのです。また印刷技術のなかったこの時代、図書館は貴重な書物のコピーに心血を注ぎ、多くの学生に書物の書写をさせて写本を作りました。これにより学生たちは書き写しながら書物を読み、書写の代金も図書館から支給された事から一石二鳥の良い「アルバイト」になりました。(笑)まさにアレクサンドリアの図書館は、当時それまでに人類が蓄積してきた古代世界最大の「知の宝庫」だったのです。

プトレマイオス1世は少年時代のアレクサンドロス大王の学友として共に育ちました。そして彼らの教育は、あのギリシャの大哲学者アリストテレスが行っていたのです。こうした事から、プトレマイオス1世が単なる軍人上がりの王ではなく、学問に深い興味と敬意を払う英邁な君主であった事がうかがえますね。

さらにプトレマイオス1世は、もう一つアレクサンドリアに歴史に名を残すものを建設しています。それが都アレクサンドリアの海の玄関口ファロス島に建てられた「ファロスの灯台」です。


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上がその「ファロスの灯台」のイラストです。この灯台は高さなんと134メートル、あのクフ王のピラミッドに次ぐ当時世界最高の高さの建造物でした。遠方からも分かるよう建材には白く輝く大理石が使われ、頂上部に大きな鏡を置き、昼間はこれに日光を反射させ、夜は大きなかがり火を反射させていたそうです。

それにしても、なぜプトレマイオス1世はこの様な巨大な灯台を作らせたのでしょうか? 実はこのアレクサンドリア周辺は見渡す限りの平野が続き、目印となる山などが何も無いのです。この都が大規模な港湾都市である事はすでに述べましたが、東西交易の中継地として多くの船を安全に入港させるには、遠方から一目で分かるこうしたランドマークタワーがどうしても必要でした。この灯台はプトレマイオス1世が建設を開始しましたが、結局彼の存命中に完成させる事は出来ず、完成したのはその子プトレマイオス2世の時代でした。(その後、このファロスの灯台はプトレマイオス王朝がローマに敗れて滅亡した後も、800年もの間アレクサンドリアのシンボルとしてその威容を誇っていましたが、796年の大地震で倒壊してしまいました。とても残念な事です。)

ともあれ古代エジプト王国は、3千年に及ぶその長い歴史の中で、最後の王朝(第32王朝にあたるそうです。)であるプトレマイオス朝時代が最も繁栄したといわれています。そしてその礎を築いたのが初代の王プトレマイオス1世であり、クレオパトラはその1世から数えて13代目にあたるプトレマイオス家最後の女王にして、同時にエジプト最後のファラオでもありました。

だいぶ話がテーマの「宮殿」から脱線してしまったので、この辺で本題の宮殿に話を戻したいのですが、その前にもう一つお話して置きたい事があります。実はこのプトレマイオス家という王家ですが、とてもユニークな、そして同時に現代の感覚からいえばとても「異常な」王家であるという事実です。

まず、前者のユニークな点ですが、この王家、恐らく歴史上最も「女王」の多い王家なのです。普通どこの国でも、王や皇帝などの君主は男性がまず即位します。女性が女王となるのは後継者の男性がいないか、幼少で後見の必要がある場合、王朝存続のためにいわばやむなく即位する「繋ぎ」としての役割が全てです。(わが国の君主にあらせられる天皇家でも、かつて推古帝や持統帝など8名の女帝が玉座におわしましたが、すべてそのケースです。それに、国家と王朝の創始者はその全てが男性であり、女性が初代の君主として国と王朝を創始した例は歴史上存在しません。まあ国を興すには強さが必要であり、強さとは武力すなわち軍事力ですから、女性に無理なのは当然ですが・・・。)

しかし、このプトレマイオス王朝では、クレオパトラも含めてなんと通算16人もの女王がいるのです。一体なぜなのでしょうか? 実はプトレマイオス家では、王が結婚して妃を迎えると「共同統治者」としてその王妃は自動的に「女王」になるのです。このシステムは初代プトレマイオス1世の代から始まり、彼の王妃ベレニケは「ベレニケ1世」としてプトレマイオス家最初の女王となっています。

これはやはり、女王の存在が基本的には王朝存続の繋ぎ役であるという点が大きな理由でしょう。先に述べた様に王朝というものは男性がまず継承します。その後継者が幼少の場合は母親、つまり王妃が後見人となって息子が立派な大人に成長するまで女王として国政を預かるのが最良の方法だからです。このシステムはその後もプトレマイオス王家の伝統として代々継承され、王朝が滅亡するまで受け継がれました。

次に後者の「異常な点」についてですが、このプトレマイオス家はなんと「近親婚」によって代々王位を継承していったというものです。それも半端な近親婚ではありません。何代にも亘って実の兄弟姉妹同士で結婚し、それで生まれた子が王位を継いでいるのです。しかし、こうした近親婚は古代エジプト歴代王朝では珍しくないもので、プトレマイオス王朝でもその習慣を踏襲したものと思われます。そもそもプトレマイオス家は、マケドニアすなわちギリシャ人の王家であり、純血のエジプト人ではないのですが、エジプトを統治して時を重ねるうちにすっかり土着化してしまったのでしょう。


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上はプトレマイオス朝エジプト王国最盛期の領域図です。

この様に非常に特異な王朝であったプトレマイオス朝エジプト王国でしたが、歴史に登場する多くの王朝の例を引き合いに出すまでも無く、その創始から200年を過ぎると衰退しはじめます。特に王位継承の際の王族間の争いが恒例となり、その都度内乱が頻発する様になります。

そうしている内に、地中海では新たな強国が急速に台頭していました。そう、イタリア半島に勃興した「ローマ」です。ローマは強大な軍事力で周辺国を次々に征服し、領土を拡大していきました。紀元前146年に最大のライバル国カルタゴを滅ぼし、西地中海を支配したローマはやがてその矛先を東地中海に向けます。そして紀元前50年代、地中海周辺はエジプトを除いてその全てがローマの領土になっていたのです。ローマがエジプトに侵攻して来るのは時間の問題です。クレオパトラが女王として即位したのはそんな時代でした。


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上がこの頃のローマの支配領域です。

ここからの彼女の物語は、とても当ブログではご紹介しきれないので割愛させていただきますが(汗)ユリウス・カエサルとの出会い、アントニウスとの運命的な恋、そして彼と共にエジプト存亡をかけて戦った紀元前30年のアクティウムの海戦の敗北などを経て、ローマによるエジプト併合はもはや避けられない状況になってしまいます。

勝利したローマの支配者オクタヴィアヌス率いるローマ艦隊はアレクサンドリアの港に入港、上陸したローマ軍は都アレクサンドリアを完全に占領し、今だ宮殿に立て篭もるクレオパトラに降伏を迫ります。

「命は取らぬ。速やかに降伏されよ。」

しかし、オクタヴィアヌスの降伏勧告を、クレオパトラは断固拒否しました。


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「わたくしはエジプトの女王。そのわたくしを捕えてローマに凱旋し、さらし者にするつもりね。そなたの好きにさせるものですか。」

そして彼女は栄光あるプトレマイオス王朝最後の女王としての誇りを抱き、自ら死を選ぶのです。

「ファロスの灯台はわたくしの命。わたくしはファロスの光となって海を照らし続けるでしょう。」

こうして紀元前30年8月、彼女は宮殿で自ら毒をあおり、命を絶ちました。そして彼女の死により、13代274年間続いたプトレマイオス王朝は滅亡したのです。

その後、彼女が住んだアレクサンドリアの宮殿は、8世紀に起きた大地震と津波により、ファロスの灯台とともに海に沈んでしまいます。


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上は現在のアレクサンドリア湾の様子です。クレオパトラの宮殿はアレクサンドリア市街ではなく、湾を埋め立てて造成した海の上に建てられていたのです。しかしそれらは全て先に述べた地震によって失われ、海の底に沈んでいます。(下の地図の緑の部分が沈んだ部分です。)

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上の一連の画像はアレクサンドリア湾内の海底に沈んだクレオパトラの宮殿の痕跡です。(ここで余談なのですが、「アレクサンドリアの海底遺跡」などと入力してインターネットで検索すると、海に沈んだファラオの像やスフィンクスの石像など多くの写真や引き揚げられた遺物が出てきます。しかし、これらはほとんどが「ヘラクレイオン」というプトレマイオス朝より以前の時代に海に沈んだエジプトの古代都市のもので、クレオパトラの宮殿とは全く違う別のものです。これは、この遺跡がアレクサンドリアに近い東のアブキール湾にあり、またこちらの方が遺跡の保存状態が良く、多くの遺物が沈んでいる事から、現在水中考古学者たちの目はこちらにばかり集中し、発掘が行われているのが原因の様です。)

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上は1963年製作の映画「クレオパトラ」で彼女を演じたエリザベス・テイラー(1932~2011)です。これまでクレオパトラを演じた女優で最もそのイメージにぴったりだといわれています。

みなさんもエジプトに旅行される機会があれば、ギザのピラミッドを見た後に、アレクサンドリアに立ち寄られてみてはいかがでしょうか? そして目の前に広がる青い地中海を眺めながら、女王クレオパトラに思いを寄せてみるのも良いと思います。もしかすると、夢の中で「絶世の美女」とお話出来るかも知れませんよ。(笑)

次回に続きます。
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