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エンリケ航海王子とポルトガル王国の挑戦 2

みなさんこんにちは。

1415年、父王ジョアン1世のセウタ攻略作戦に参加したエンリケ王子たちは、国民からの献金その他で苦労して集めた2万余の兵とおよそ200隻の艦隊でセウタ駐留のイスラム艦隊を奇襲攻撃し、これを撃破して兵を上陸させ、見事セウタを占領します。
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上は若き日のエンリケ王子の肖像です。彼はこの時21歳の若者で、この戦功により彼と二人の兄たちはそろって「騎士」に任ぜられ、さらに父王ジョアン1世から新たに彼のために設けられたヴィゼウ公の位を授けられました。(彼にとっての「初陣」は華々しい大成功で始まります。)

信仰心の厚かった彼はこの地に滞在している内に、かねてからキリスト教社会に伝わる伝説である、プレスター・ジョンとその王国にまつわる話を聞いて大変感銘を受け、その伝説の王国を探し出す事に夢を膨らませます。

(このプレスター・ジョンというのは、キリストの誕生を予言した東方三博士の子孫で、アフリカの奥地にキリスト教の王国を築いた云々という伝説です。恐らく十字軍の時代に広まり、わが国でも有名なマルコ・ポーロの「東方見聞録」にも記述があるもので、かつてキリスト教カトリックで広く信じられていたものです。当時イスラム勢力との長い戦いを続けていたヨーロッパ諸国はこの伝説の王国を探し当て、彼らと同盟してイスラム勢力を挟み撃ちにする事を願っていました。)

さらに彼はサハラ砂漠のキャラバン隊を通じて、それを中継するイスラム勢力が法外な税を徴収している結果、交易品の価格が原価の何倍にもなっているという貿易の実態を知り、アフリカの金と香辛料をもっと安全かつ安く大量に運ぶためには陸上交易ではなく、アフリカ西岸航路の開拓と、ひいてはインドへの航路開拓が必要だという非常に冒険的な野望を抱く様になります。

彼は父王ジョアン1世からテンプル騎士団の流れを組むキリスト教騎士団長と、ポルトガル南部アルガルベの総督に任ぜられると、その地方の海に面したサグレス岬に館を構え、その地で騎士団の豊かな資金を元手にそれらの計画を実行する準備を始めます。(彼が団長を務めていた「騎士団」というのは、当時ヨーロッパ諸国に数多くあったもので、対イスラム勢力との戦いを名目に、全ヨーロッパのカトリック信者からの多額の寄付金で運営されていました。つまりポルトガル国内は貧しかったが騎士団には金がうなるほど有ったわけです。わが国で言えばお寺の「布施」の様なものですね。)

エンリケ王子は野望を実現するために、この騎士団の豊かな資金を惜しげ無く投じてヨーロッパ各地から多くの人材を集めます。数学、天文学、地理、博物学などの学者はもちろん地図、造船、航海術などの探検に必要な専門技術者たちが、彼の元に国籍を問わず集められました。

彼は1418年に家臣2名に「アフリカ沿岸を出来るだけ南に向かい、ギニアに到着せよ」と命じて2隻の船を与えて送り出します。(常に陸地を横に見ながら行けば良いから安全ですね。)しかしその家臣たちは不運にも嵐に遭い、あえなく漂流して王子の命令とはかけ離れた方角の未発見の島々に漂着します。それはリスボンから1000キロも大西洋上にある「マデイラ諸島」でした。

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上が現在のマデイラ諸島と街並みの様子です。(人口も意外に多く25万人ほど暮らしているそうです。またこの島はサッカーが盛んで、あのスペインの有名なレアル・マドリードのサッカー選手、ロナウド選手の故郷だそうです。)

この島々の発見は、エンリケ王子の当初の目的とはだいぶかけ離れていましたが、とにかく彼の最初の「成果」であり、ポルトガル王国にとって新たな領土でした。(他国と戦争せずに新しい領土を手に入れたのですから安いものですね。)そして早速翌年から殖民が始まります。

これに味を占めたエンリケ王子はその後も船を各方面に派遣し、1427年には家臣の一人がアゾレス諸島を発見し、これを領土とします。このアゾレス諸島は後の新大陸発見の際の重要な基地となる島々ですが、彼の当初の目的であったアフリカ西岸航路の開拓はなかなか進みませんでした。(この原因はこの付近一帯の潮の流れが非常に速く、船がどうしてもはるか沖合いに流されてしまう事にありましたが、まだ未知の海域に乗り出したばかりでおっかなびっくりの当時の人々にとってはさぞ怖かった事でしょうね。)

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上が現在のアゾレス諸島とその位置です。(人口は約24万)

この頃は人類の住む世界は全能の神が創りたもうたもので、平らな宇宙の中心であり、その平らな世界を中心として全ての星が周っているという「天動説」の時代で、世界の果ての海が尽きる所では海の水が滝の様に流れ落ちているのだという迷信が広く信じられていました。ですから船乗りたちには世界の果てまで行って、そのまま船もろとも流れ落ちてしまうかも知れないという恐怖心があり、何かあったらすぐ逃げ帰ってしまう様な部分もあったそうで、そんな迷信を打破して世界の海に乗り出し、富の元になる香辛料などを手に入れたいエンリケ王子は、戻って来た家臣や船乗りたちを怒り付け、また送り出したそうです。

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しかしそんなさ中の1433年、彼の父であるジョアン1世が亡くなり、エンリケ王子の長兄であるドゥアルテ1世(1391~1438)が王位を継承します。(上に載せた肖像の王様です。)国王の代替わりで政策も変わり、北アフリカのイスラム勢力との戦いもまだ続いていました。いくつかの探検での新領土獲得などで勢い付き、兄王の実弟として王国でも重要職を占めていたエンリケ王子は更なる領土獲得を目指し、イスラムの要衝モロッコのタンジール攻略を実行に移します。しかしこれは彼の人生最大の失敗となってしまうものでした。

次回に続きます。
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