ポルトガル王国の栄光 ・ 束の間の黄金時代

みなさんこんにちは。

ヴァスコ・ダ・ガマなどの探検家たちの奮闘により、南米からアフリカ、さらにインド洋から東南アジアに至る一大海上帝国を築き、巨万の富を得たポルトガル王国ですが、彼らに富をもたらした主な商品にはどんな物があったのでしょうか?

スパイスストーリー―欲望と挑戦と

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香辛料貿易と、ヨーロッパ諸国によるその争奪戦の歴史について詳しくお知りになりたい方は、少し高いですが上の本が良書です。ページ数は286ページほど。

まず第一に「香辛料」つまりスパイスです。その代表的なものが胡椒(こしょう)、クローブ(丁子)ナツメグなどで、他にも数多くの香辛料がありますが、当時胡椒はインド、クローブ、ナツメグなどは、インドネシアのモルッカ諸島のみでしか栽培されていませんでした。そしてそれらを手に入れるため、命知らずの男たちがはるか遠くの未知の世界へと乗り出していったのです。

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それにしてもなぜポルトガル人を含め、彼らヨーロッパ人はそんなに「香辛料」(スパイス)を欲しがったのでしょうか?

その理由は当時のヨーロッパ人の食生活が大きく影響していました。欧米人の食事というと、我々日本人のイメージではフランス料理の様な豪華なものを連想しますが(自分だけでしょうか?笑)実は今日見られるあの様な食事スタイルは大航海時代以後の近世に形作られたもので、広大な領地と財を持つ王侯貴族は別として、一般庶民の食事はライ麦や大麦を練って焼いた固い黒パンなどにチーズやカラス麦の粥(オートミール)、野菜と豆のスープ(というよりごった煮)などといった簡素なものでした。

この時代は料理の味付け、いわゆる「調味料」などといえる物は塩、オリーブオイル、ガーリック(にんにく)程度で、どの料理も味は濃いか薄いかというくらいで大して差が無かった様です。

肉などは塩漬けか燻製にするしか保存法がなく、ベーコン、ハム、ソーセージなどにして食べていました。ヨーロッパは日本の北海道より緯度が北にある寒冷地であり、一部の作物を除いて農業が出来ない冬場などはこれらを冷暗所に蓄えて数ヶ月保存が出来た様です。しかしもちろん限界がありますから、冬の半ばから終わりにかけては腐りかかった物でもやむなく食べていました。そしてその匂いと臭みを、これらの香辛料がその独特の強烈な香りと風味で見事に消してくれるのです。

もちろんこれらの香辛料は、新鮮な食材を使った料理ならもっとその美味しさを引き立ててくれます。先に述べた様に、大して味も素っ気も無い食生活だったヨーロッパ人にとって、東洋の香辛料(スパイス)は自分たちの食生活をさらに美味しく豊かにしてくれる大切な物として、無くてはならない物になっていました。

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これらの香辛料(スパイス)の中で最も高価だったのが上に載せた胡椒(こしょう)で、左の黒胡椒の方が高級品でした。その価値は一粒で同じ重さの金と交換されるほどで、また香辛料は軽くて持ち運びも楽ですし、わずかな量でも大変な金額で取引されたので他の品物とは比較にならないほどの大きな利益を得られました。ですから一攫千金を狙う多くの男たちが、命を賭けて東洋まで航海に出かける魅力が充分すぎるほどあったのです。

(一度東洋に航海に出て、例えば胡椒の実を一樽でも持ち帰れば、それがそのままその樽一杯の金貨と交換されるのですからたちまち大富豪になれますね。男なら人生を賭けてみたくなるものです。)

これら主力商品の香辛料(スバイス)の他にポルトガルに富をもたらしたがアフリカの金、象牙、労働力としての黒人奴隷などで、これらを送り出した地域がそのまま「黄金海岸」「象牙海岸」「奴隷海岸」として、アフリカの地名に残っていますね。

これらのおかげでポルトガル王国には多くの富が集まり、取引をするヨーロッパ各国の商人たちで首都リスボンはもちろん国中の街が好景気と活気に満ち溢れました。そしてこれらにより蓄えられた財力で、巨大で壮麗な建築物が数多く建設されて行きます。

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上がそれらの代表的な建築物で、上から順にヴァスコ・ダ・ガマの眠るジェロニモス修道院とその内部、リスボンの港の要塞として造られたベレンの塔とその内部、そして国王の住んでいたシントラの王宮です。(これらはBS放送の世界旅行の番組などでポルトガルを紹介する際にほぼ必ず出てくるもので、全てユネスコの「世界遺産」です。)

このポルトガル王国の最盛期に国王として君臨したのがアビス朝5代国王(ポルトガル王としては14代)マヌエル1世(1469~1521)です。

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彼はそれまでの王たちとは比較にならぬほど海外進出を推し進め、世界中に艦隊と軍を派遣し、占領確保した各地の拠点にポルトガル人の居留地と堅固な要塞を建設させて、東洋からポルトガル本国までの交易ルートの構築に心血を注ぎました。(一ヶ所の拠点に配備できる守備隊兵力は200~300から多くても1千程度であったため、少ない兵力で有効に防衛するため街全体を下の様な砲台を廻らした要塞で守っていました。写真は東アフリカに残る要塞とこの時代の軍港などに停泊中の艦船の様子で、ひときわ大きい中央の船は当時のポルトガル艦隊旗艦です。)

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マヌエル1世は政治、経済、軍事だけでなく、学問と文化の振興にも力を注ぎ、特に建築の分野では、上に挙げたジェロニモス修道院に代表される独特な建築様式が彼の名を冠して「マヌエル様式」と呼ばれています。

その「幸運な王」マヌエル1世が亡くなると、その子ジョアン3世(1502~1557)が19歳で即位し、父王の政策を踏襲して同様にその繁栄の時代を治めます。

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彼ら親子の時代がポルトガル王国の「黄金時代」つまり繁栄の絶頂期でした。当時上は国王から下は街角の子供たちに至るまで、この国の誰もがこの繁栄が未来永劫続くものと信じて疑わなかった事でしょう。しかし絶頂期という事はもうこれ以上の上は無いわけで、後は下がるというのが歴史の常です。そしてその繁栄の終わりの足音はもうすぐそこまで来ていました。

次回に続きます。
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