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メディチ家の失敗 ・ 栄光の光と影

みなさんこんにちは。

ローマ教皇シクストゥス4世の仕掛けた数々の謀略をはねのけ、教皇との争いに勝利したロレンツォ・デ・メディチは、その類い稀な政治力と巧みな外交戦略、優れた文化人としてのルネサンス芸術の保護者、その豪快で明るい人柄と気前の良さで多くの人々に慕われ、また困難に挑む勇気と断固とした決断と行動、人々を引き付け魅了する天性の会話力や弁術で、生前からロレンツォ・イル・マニフィコ(偉大なるロレンツォ)と呼ばれ、また建前上一市民でありながらフィレンツェ共和国の全てを操る故に、「肩書きの無い君主」「豪華王」などと内外から奉られていました。

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しかし「人間」である以上完璧ではありません。そんな「偉大なる」彼にも大きな欠点というか、かなり欠落した弱い部分がありました。それは金銭感覚、つまりお金の事に関してあまりにも無頓着であったという点です。そのためそれまでヨーロッパ屈指の大富豪であったメディチ家はロレンツォの時代に大きくその財を減らし、それどころか破産寸前の状態にまで追い込まれる事になります。

それにしても、かつてあれほどの隆盛と莫大な資産を誇った彼らがなぜその様な事態にまで陥ってしまったのでしょうか?

その原因は大きく2つ挙げられます。まず1つ目はメディチ銀行の経営悪化です。そもそもメディチ家は、これまで述べて来た様に代々受け継いできた銀行業すなわち「金貸し」によって財を築いた一族であり、ロレンツォの祖父コジモ・デ・メディチの代に、コジモの卓越した経営手腕によってヨーロッパ各国に支店を開き、それらの国々の王侯貴族にまで大金を貸し出して、ヨーロッパ最大の国際銀行としてその頂点を極めました。

ところがコジモの死後、それらの王侯貴族たちへの過剰な貸付が裏目に出ます。なぜか?それは王侯たちが借りた金の返済を渋り、最終的には債務免除の要求、つまり乱暴な言い方をすれば借金を「踏み倒し」て来たからです。

普通金を貸す場合には貸し倒れに備えて土地などの「担保」を取ります。金を貸す相手が同じ商人や一市民であれば、債務不履行を理由にそれで何とか債権の回収が出来ますが、相手が絶対権力を持つ王侯貴族ともなるとそうはいきません。仮に「担保」を取っても彼らはその権力と武力でいつでもそれを取り上げる事が出来るからです。

こんな事を書くと、まるでそれらの君主たちが身勝手で横暴に聞こえますが(実際そうですが。)もちろん全ての君主たちがそうだったわけではありません。しかしメディチ家が金を貸した各国の君主たちの多くが、戦争と国内統治に明け暮れて全く余裕が無く、返したくても返せないのが実情でした。そのため元本はおろか利息すら取れず、それら「大口」の貸付がいわゆる「不良債権」となり、メディチ銀行の経営を大きく圧迫していったのです。

2つ目の理由はメディチ家の総帥であるロレンツォ自身が、先に述べた様に商売や金儲けに終生興味を示さず、その能力も無かったと言う事です。なぜならロレンツォが生まれた時、メディチ家はすでに祖父コジモの活躍により「ヨ-ロッパ屈指の大富豪」となっており、つまり彼は「金」の心配などする必要が無かった事から、商売や銀行経営などについて学ぶ機会が無く、ロレンツォが当主となってメディチ銀行がますます経営悪化していっても、彼はどうすれば良いのか分からず、祖父の代から仕える幹部たちに経営を任せきりにしていました。

ロレンツォはあくまでも「政治家」でした。彼の価値観の第一は国家の命運を左右する大勢力となったメディチ家の権力を維持、拡大しつつ、同時にいかにしてフィレンツェ共和国の国家としての繁栄を導いていくかという点にあり、金儲けだけ考えていれば良かった商人時代のメディチ家とは大きく違っていたのです。

もちろんロレンツォもメディチ銀行の危機的状況は分かっており、再建のため何度も経営建て直しの努力をしたのですが、もはやメディチ銀行はあちらこちらで火がついた状態で手が付けられず、フィレンツェの本店以外ではローマとナポリの支店を除き、全ての支店を閉鎖するまでに規模を縮小せざるを得ませんでした。

この様な状況下で資金難に陥ったロレンツォは、自分が後見人となって預かっていた分家の兄弟の資産総額5万3千フィオリーノを無断借用、(ある資料によると、1フィオリーノは現在の日本円で12万円ほどだそうですから約63億円以上になりますね。)さらにフィレンツェ国内の自らの権力を悪用し、秘かに政府の金まで横領する様になりました。(記録では約7万5千フィオリーノ、およそ90億円。ちなみにロレンツォ時代のフィレンツェ共和国の国家予算が30万フィオリーノだったそうなので4分の1も使っています。これらの金は大半が、悪化したメディチ銀行の損失補てんに費やされた様です。)

ロレンツォのこの行為は後にメディチ家にとって大きな禍根となります。特に前者の分家の兄弟たちに無断借用がばれると彼らはその返済をロレンツォに要求し、やむなくロレンツォはメディチ本家が所有するいくつかの館や土地などの不動産で弁済しますがそんなものでは到底足りず、当然その分家兄弟とは救いようの無い溝が生じ、やがてそれがロレンツォの死後、メディチ家を二つに割る争いとなります。

それにしても優れた政治家で文化人でもあった彼が、どうしてその様な「犯罪的」行為に及んでしまったのでしょうか?その理由については推測の域を出ませんが、どうやらロレンツォは自分とメディチ家が国家であるフィレンツェ共和国と絶対不可分な一体のものと考えていた様です。つまり彼曰く「フィレンツェの全ては自分とメディチ家のものだ。これまでわがメディチ家は代々フィレンツェのために尽くして来たではないか。ゆえに少々の事は許されて当然なのだ。」という錯覚に陥ってしまった事と、それまで金は持っていても一市民に過ぎなかったはずのメディチ家が、長く国政を司る内に「支配者」としての意識を持つようになり、ロレンツォも次第にそれに傾倒していった事が理由ではないかと思われます。

ロレンツォ率いるメディチ家のもとで、フィレンツェ共和国は繁栄を謳歌し、ルネサンス芸術はその絶頂期を迎えていましたが、その「光」の裏でこうした「影」の部分が存在していたのです。

次回に続きます。
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