フィレンツェの嵐 ・ サヴォナローラの神権政治

みなさんこんにちは。

イタリアへの侵攻を開始したフランス王シャルル8世率いる大軍によってメディチ家は追放され、フィレンツェはフランス軍に占領されてしまいましたが、幸いにもそれは一時的なものでした。ナポリ攻略を急ぐシャルル8世はすぐに全軍を率いて南下し、ローマを経て一路ナポリを目指したからです。彼は1495年5月にナポリに入城、戴冠して念願のナポリ王となります。

しかしシャルル王の天下も長くは続きませんでした。フランスのイタリア介入を嫌った時のローマ教皇アレクサンデル6世の画策により、ドイツ神聖ローマ帝国、ヴェネツィア、ミラノなどの諸国が同盟を結び、これらの連合軍によって包囲されたシャルル8世率いるフランス軍は、慣れない異国での戦闘に大損害を受けてフランス本国に撤退しました。

そしてこのイタリア遠征の失敗によってフランスは、シャルル8世の命により国力の限界を度外視して無理に集めた10万近い大軍の戦費のために莫大な負債を抱えてしまったそうです。(開戦の張本人シャルル8世は撤退後の1498年に28歳の若さで亡くなっています。死因はなんとうっかり部屋の鴨居に頭をぶつけた事による、失礼ながらいささか「マヌケ」なものだったそうです。)

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上はシャルル8世との戦いに勝利した時のローマ教皇アレクサンデル6世(1431~1503)です。好色、強欲な「最悪の教皇」の一人とされていますが、反面で政治力と息子チェーザレ・ボルジア(1475~1507)を右腕として教皇国の軍事的自立を目指した点で評価される部分もあります。

さてその後フィレンツェは、メディチ家追放後にそれまでメディチ家が彼らに有利に構築していた共和国の組織を廃止し、コジモ・デ・メディチの台頭によりメディチ家が実権を握った1434年以前の元の体制に戻しました。そして復活した共和制議会において、新たに権力を握ったのは「怪僧」ジローラモ・サヴォナローラ(1452~1498)でした。

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サヴォナローラ―イタリア・ルネサンスの政治と宗教

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このサヴォナローラについて詳しくお知りになりたい方は上の本が良書です。ページ数は348ページで、彼について書かれた日本で読める唯一の本です。(残念ながら目下刊行されている書籍でサヴォナローラに関するものは中古品しかない様で、自分の記憶ではこれ以外の本となると、塩野七生さんの「神の代理人」が良いと思います。ただしこちらは教皇とサヴォナローラとの手紙のやり取りを塩野さん独自の視点と文体で表現したものなので、その点を踏まえてお読みください。)

彼はすでに述べて来た様に、ロレンツォ・イル・マニフィコの死の数年前から堕落した教会とフィレンツェに対する「神の罰」によって、フィレンツェに破局が訪れる事を予言し、それがメディチ家支配の崩壊とフランス軍によるフィレンツェ侵略という形で(偶然にも)的中すると、彼に対する権威とフィレンツェ市民への影響力はたちまち頂点に達します。

彼の影響力を無視出来なくなったフィレンツェ政府は彼を「政治顧問」とし、公的な地位を得たサヴォナローラは国政全般に積極的に関与し始めました。彼が目指したのはメディチ家がもたらした悪弊を打破し、開かれた共和制と真の「キリスト教」国家の樹立であり、それを全イタリアひいては全ヨーロッパに及ぼす事が彼の理想でした。

サヴォナローラは自分の理想を実現するため、メディチ時代の価値観の徹底的な否定と破壊を行います。すなわち彼の言う所、メディチ家に代表される贅沢、華美、遊興、好色、男色、芸術は全て「悪」であり、全キリスト教徒は唯一絶対の神イエスの教えに立ち返るのだというもので、言わばルネサンスを完全に否定するものでした。彼はそれを目に見えた形で市民に知らしめるため、政庁前のシニョリーア広場で多くの官能的な絵画、俗悪な書物、豪華な調度品、華美な装身具や衣類を山の様に積み上げ、盛大に「焼却」します。これによりそれまで蓄積されて来た多くの貴重なルネサンス芸術の品々が失われてしまいました。

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上は現在のシニョリーア広場です。かつてここで多くの歴史上のドラマが展開されました。

サヴォナローラのこうした過激な政策は、それまでルネサンスの担い手だった多くの芸術家や文化人にも深い傷を与え、多くの者が彼に帰依します。中でもかつてロレンツォ・イル・マニフィコの元で享楽の日々を過ごしたボッティチェリの豹変振りは痛々しいものでした。彼はそれまでの自由奔放な作風を棄てて、下の様な硬直したお堅い宗教画ばかり描く様になってしまいました。

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しかしサヴォナローラのこうした「神権政治」も長くは続きませんでした。なぜならやがて彼はローマ教皇をも批判する様になったからです。批判の対象とされた教皇アレクサンデル6世は激怒し、1497年5月に彼を「破門」します。さらに彼の教皇批判はローマ教皇庁と取引のあるフィレンツェの銀行家たちの反発を買い、彼の急激な政策によって引き起こされた様々な混乱で、サヴォナローラに対する市民の人気はたちどころに急落していきました。そして1498年5月、数々の失敗ですっかり孤立した彼は共和国政府に逮捕され、絞首刑となってしまいます。

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上はシニョリーア広場で絞首刑となり、焼かれるサヴォナローラの遺体。皮肉にも彼は自分が多くのルネサンス芸術の品々を焼いた場所で、最後に自らが焼かれる事になってしまいました。

こうしてフィレンツェを振り回した「怪僧」は最後を迎えましたが、その後のフィレンツェは名門貴族出身で、かつてロレンツォ・イル・マニフィコの支持者だったピエロ・ソデリーニ(1450~1522)によっておよそ10年間統治されます。この人物は肖像画も残っておらず、記録によると良く言えば「穏健」悪く言えば「優柔不断」という評価なのですが、激動する予測不可能なイタリア情勢の中で、フランス軍侵攻で失ったピサの再征服などを成功させ、メディチ家追放後のわずかな期間とはいえ10年の統治を維持したのはある程度の評価は出来るでしょう。そしてそのソデリーニ政権下の外交官として重要な役割を果たしたのが「君主論」で有名なニッコロ・マキャベッリ(1468~1527)です。

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このマキャベッリはフィレンツェ出身の外交官で、ソデリーニの側近として周辺諸国との対応に奔走し、その間に様々な経験を通して代表作「君主論」を書き上げました。これは感情論を排した徹底的な現実主義(リアリズム)で、君主などの指導者のあり方、国際関係、軍事、政治姿勢や国家国民への対応を説いたものです。特に彼は他国との外交交渉で軍事力の欠如から散々苦い思いを味合わされ、その結果外交官でありながら「軍事」の重要性を説き、この彼の思想は彼の名を冠して「マキャベリズム」と称され、その作品は今日でも世界中で多くの政治家や指導者層に読み継がれ、研究されています。

(わが国の政治家たちもこれをもっと研究熟読して「戦争放棄」「平和憲法」などという非現実的妄想から一刻も早く脱却し、天皇陛下を元首として主体的打撃力を持つ精強な陸海空軍を再建し、本来あるべき真の日本の国家の姿を取り戻して欲しいものです。)


次回に続きます。
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