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斜陽の都 ・ 沈み行くメディチ家

みなさんこんにちは。

メディチ家とフィレンツェにとって最後の名君であったフェルディナンド1世が1609年に亡くなると、その後には19歳の長男コジモ2世が大公位を継承しましたが、彼は病弱であったため、国事はフランス王家出身の大公母クリスティーナと、ハプスブルク家から迎えた大公妃マリア・マッダレーナが取り仕切っていました。

しかしこの2人はいわゆる典型的な「嫁と姑」の間柄であり、当然ながら仲が悪く、何かといえば張り合う「女の戦い」の中で、トスカーナの国政はそれに振り回されつつも何とか安定を保っていました。

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上が第4代トスカーナ大公コジモ・デ・メディチ2世(1590~1621)彼は実母と公妃に終生頭が上がらず、その上短命で在位は12年ほどでしたが、性格は温厚で教養も豊かであり、国政よりも芸術と科学のパトロンとして貢献しました。

この時代、トスカーナ大公国は前大公フェルディナンド1世の強力なリーダーシップによって再興した経済発展の諸政策がまだ功を奏していたのですが、彼の死後年数を経る内にそれらも息切れし始め、やがて全ての産業は停滞、コジモ2世の即位から10年目には再びトスカーナの経済は下降線をたどり始めます。

学問好きのコジモ2世は特に科学に大変な興味を示し、彼がパトロンとなった人物で最も有名なのが「天文学の父」と称される天文学者ガリレオ・ガリレイ(1564~1642)です。

Galileo_arp_300pix.jpg

上がガリレオ・ガリレイ。この人の名は一般的な知識として大抵の方はご存知と思います。望遠鏡で宇宙を観測して多くの星を発見し、この地上は全能の神が創った宇宙の中心であって、全ての星はその地上を中心として周っているとする「天動説」を否定し、この地上も宇宙の一つの星に過ぎないとする「地動説」を唱え、当時のローマカトリック教会から「異端者」として何度も裁判にかけられた人です。他にもピサの斜塔から重さの違う2個の玉を落として「落下の法則」を実験したエピソード(これは彼の弟子の創作らしいですが。)が有名ですね。また「振り子の法則」も発見して、それを基に振り子時計が発明されたそうです。

コジモ2世は病弱だった割には公妃との間に8人もの子を成し、1621年31歳の若さで亡くなりますが、彼の死をもって、それまでどちらかと言えば多産であったメディチ家の繁殖力も次第に弱くなっていきます。

コジモ2世の死後はその長男フェルディナンド2世、さらにその死後はその子コジモ3世が即位します。彼らの在位はフェルディナンド2世が50年、コジモ3世が53年と親子合わせてなんと103年という長期間に及びますが、この長い間にトスカーナの国際的な地位は著しく衰え、経済は疲弊し、市民は飢えと重税に苦しみ、かつてルネサンスの花開いた華麗な「花の都」フィレンツェは、貧民と乞食のあふれる寂しい田舎町に成り果てていきました。

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上がメディチ家最長の在位だったフェルディナンド2世(1610~1670)と下がコジモ3世(1642~1723)親子。しかし彼らがその長い在位期間にフィレンツェとトスカーナに果たした役割は私的な芸術と文化のパトロンとなった程度であり、政治、経済、軍事、外交においては見るべきものはほとんどなく、彼らの長い治世はメディチ家とフィレンツェの長い衰退と没落の時代でもありました。

さらにこの時期、フィレンツェとトスカーナの君主であるメディチ家にも、彼らがそれまで経験した事のない「大きな危機」が訪れていました。それはメディチ家自体の家系の断絶です。

メディチ家がこの様な危機に立ち至った原因は大きく2つあります。1つは歴代大公と妻である大公妃との間に生まれた子が少なかった事です。先に少し述べた様に、第4代大公コジモ2世は8人もの子に恵まれた子だくさんでしたが、彼の後を継いだ5代大公フェルディナンド2世には男子は一人しか生まれず、その唯一の男子で後継者の6代大公コジモ3世も後継男子は2人しかいませんでした。

もう1つの理由はその6代大公コジモ3世の2人の息子たちがどちらも同性愛者であったために子供が生まれず、彼ら以外の他のメディチ家の一族もすでに死に絶えてしまっていた事です。

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コジモ3世の2人の息子。上が兄のフェルディナンド(1670~1713)で下が弟ジャン・ガストーネ(1671~1737)兄フェルディナンドは音楽を愛する才気にあふれた人物でしたが、男色相手、特にカストラートと呼ばれる複数の去勢された少年歌手(変声期前のボーイソプラノを維持するために性器を切り取られた少年)との情事を重ねる内に性病にかかって亡くなり、弟ジャン・ガストーネも同様に男色と酒びたりの日々を送る自堕落な人物でした。

(余談になりますが、上の肖像画のコジモ3世以下息子たちは、3人ともとても派手な長いもじゃもじゃ頭をしています。しかしこれは自毛ではなく「かつら」です。元はどうやら「太陽王」と呼ばれたフランス王ルイ14世が、小柄だった身長を少しでも大きく見せるためにかぶっていた物で、かのヴェルサイユ宮殿でそれを見ていた貴族たちが「マネ」してかぶりだしたのが始まりの様で、やがて全ヨーロッパで大流行し、17世紀後半から18世紀末までの約100年もの間、王侯貴族などの上流階級や裕福な資産家たちのおしゃれのステイタスになりました。)


この様な非常に「特殊」な状況であったため、もはやメディチ家の家系の存続が絶えるのは時間の問題となりつつあったのです。この問題はメディチ家がいかに財を誇ってもどうにもならない問題でした。そしてこの問題に起因するメディチ家最後の時は、もう目の前にまで近づいていました。

次回に続きます。
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