スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

メディチ家の最後 ・ 永遠の美の都へ

みなさんこんにちは。

第6代トスカーナ大公コジモ3世が全ての後継者の望みを絶たれ、メディチ家の避けられぬ消滅を嘆きつつ1723年に81歳の歴代最長寿で亡くなると、大公位を継承したのはその次男であるジャン・ガストーネでした。前回もお話した様に長男の兄フェルディナンドは同性愛者であり、バイエルン選帝侯の娘と形ばかりの結婚はしたものの、子孫を残さずにすでに亡くなっていたため、もうメディチ家には彼しか後継男子がいなかったからです。

Giangastonecoronation.jpg

上が第7代トスカーナ大公ジャン・ガストーネ・デ・メディチ(1671~1737)しかし即位の時すでに彼は52歳になっており、これも前回触れた様に、彼も兄フェルディナンド同様男色家であり、父コジモ3世の命令で、1697年ドイツ北部ザクセンのラウエンブルク公爵の娘アンナ・マリアと結婚はしていたものの、当然子供は出来ませんでした。

住み慣れた温暖な故郷フィレンツェから遠く離れたボヘミア近郊のライヒシュタットという田舎町の陰気な山城で、口やかましく横柄で魅力に乏しい妻と暮らす羽目になった彼は、その頃から人生に無気力になり、寵愛する若い家臣ジュリアーノ・ダーミと密かな男色やギャンブルに耽り、時折プラハやパリに遊びに出かけては放蕩三昧を繰り返すが、それ以外では酒におぼれるだけの毎日を送っていました。

そんな生活が10年も続き、いたずらに年を重ねる事に耐えかねた彼は、1708年頑迷な妻を置いてわびしいライヒシュタットを飛び出し、お気に入りの家臣ダーミとともに故郷フィレンツェに戻って来ます。しかし彼の帰国は父コジモ3世を喜ばせる事はありませんでした。なぜならすっかり染み付いてしまったジャンの自堕落な生活は全く変わる事はなく、逆に大公を絶望させるだけに過ぎなかったからです。

この様な状況下で新大公に即位したジャンに対し、もはやメディチ王朝の断絶が誰の目にも明らかな中で、当然の事ながら周囲の人々も誰も期待する者はなかったのですが、こんな彼でもいざ大公になると彼なりに良き君主である事を目指し、父の時代の政策を改め、次々に開明的な政策を打ち出していきます。

彼が行った政策は教会勢力の政治干渉の抑制、政治警察と公開処刑の禁止、減税による農民負担の軽減と貧民の救済、ピサ大学の規制の撤廃による自由闊達な学問研究の推進、ユダヤ人迫害の禁止(これは資産家の多いユダヤ人に自由に商売させて経済を復活させるのが目的だったのでしょう。)などが挙げられます。

こんな彼ですが、実は意外にも学問には熱心で教養は豊かであり、特に語学力に堪能でギリシア語、ラテン語、スペイン語、フランス語、英語などに通じ、植物学や古代遺物の研究に打ち込むアマチュアではありましたがかなりの学者でした。つまり全く無芸無能な人物ではなかったのです。しかし先に述べた不幸な結婚で青年期を無為に過ごした事が、彼の人生を狂わせてしまったのかもしれません。

しかし彼の行った政策でも、すでに衰退の極みにあったトスカーナ大公国の状況は好転せず、ジャン大公は次第に国政に関心を失い、1729年には公的な生活から引退してピッティ宮殿に引きこもり、一日の大半をベッドの上で過ごすという自堕落な生活に戻ってしまいました。

こうしてメディチ家の断絶は時間の問題となっていたのですが、すでにヨーロッパ列強諸国(イギリス、フランス、スペイン、オーストリア、オランダ)はコジモ3世の亡くなる数年前からメディチ家亡き後のトスカーナについて利権がらみの協議を重ねていました。各国は虎視淡々とトスカーナの領土を狙っていましたが、1731年の会議における当初の取り決めでは、メディチ家断絶後のトスカーナ大公位はスペイン王家が引き継ぐ事が決定されていました。

しかしその後の動乱で状況は変転し、最終的にトスカーナ大公国はロートリンゲン公フランツ・シュテファン(オーストリア)が継承する事が決められました。当事者の自分や公国政府を無視したこの列国による勝手な差配に、余命いくばくもない大公ジャン・ガストーネはなす術もなく、ただ宮殿の豪華なベッドの上で事の成り行きを見届ける事しか出来ませんでした。

Martin_van_Meytens_006.jpg

上がトスカーナ大公国を継承する事が決まったロートリンゲン公フランツ・シュテファン(1708~1765)彼はその前年、神聖ローマ帝国皇帝カール6世の皇女であるマリア・テレジアと結婚し、オーストリア・ハプスブルク家の当主として将来の皇帝となる事が約束されており、これによってトスカーナは神聖ローマ帝国の一部となってしまい、独立国家ではなくなってしまう事が予想されました。

死の間際にいたジャン大公でしたが、彼もメディチ家の人間の端くれでした。彼はここで一族の名誉とプライドをかけ、またトスカーナ大公かつメディチ家の当主として最後の意地を見せます。彼はフランツ・シュテファンから、自分亡き後の大公国の継承を認める代わりに、トスカーナは将来に亘って帝国領には編入されず、公国として独立を保つという約束を取り付ける事に成功したのです。(これは彼が大公として果たした唯一の、しかし最も重要な事でした。)

Bandiera_del_granducato_di_Toscana_(1562-1737_).gif

上はトスカーナ大公国メディチ家の紋章。当家のシンボルである5つの玉と、王冠をかぶせたデザインが印象的です。こうして最後の大公ジャン・ガストーネは1737年7月、66歳でこの世を去ります。そして彼の死は同時に初代アレッサンドロ公以来8代205年続いたメディチ王朝の終焉でもありました。


さて最後の大公ジャン・ガストーネの死後、メディチ家とフィレンツェはどうなったのでしょうか?

1737年フィレンツェは、ジャン大公の亡くなる半年前から6千のオーストリア軍によって占領されていました。そしてそのフィレンツェにおいて、メディチ家の血を引く最後の人物が、亡きジャン・ガストーネの姉であるアンナ・マリア・ルイーザ(1667~1743)でした。もうメディチ家は彼女以外には誰もいなかったのです。
459px-Antonio_Franchi_001.jpg

上がメディチ家の最後を看取ったアンナ・マリア・ルイーザ・デ・メディチ。彼女はプファルツ選帝侯に嫁いでいましたが、夫の死後フィレンツェに戻り、ピッティ宮殿でジャン大公とともに静かに暮らしていました。弟ジャン大公が亡くなった時すでに70歳の高齢で、弟の死後ますます信仰心を深めた彼女はメディチ一族代々の教会であるサン・ロレンツォ聖堂をはじめとする教会施設の造営を進め、それらを数多くの絵画や彫刻で飾り立てました。

メディチ家の最後の人間として彼女が自らに課した事は、芸術と文化の保護者として君臨したメディチ一族の栄光を未来永劫残す事でした。

1743年メディチ家最後の人物アンナ・マリア・ルイーザは、ピッティ宮殿で75歳で亡くなりました。そして彼女の死によって、13世紀から500年続いたイタリア一の名門メディチ家は完全に滅亡します。彼女は歴代の一族が眠るサン・ロレンツォ聖堂に葬られ、その後には、メディチ家が300年に亘って蓄積してきた膨大な財産(宮殿、別荘、絵画、彫刻、宝石、豪華な家具調度品や工芸品、貴重な写本)が残されましたが、これらは彼女の遺言により1つの条件付きで全てが新大公ロートリンゲン家とその後継者に委譲される事になっていました。

その条件とはこうです。

「これらの物は全て国家と市民の財産であり、外国人の好奇心を引き付ける物であるゆえ、何一つとして譲渡されたり、フィレンツェおよび大公国の領土から持ち出されてはならない。」


彼女の遺言は継承したハプスブルク・ロートリンゲン家によって固く守られました。アンナ・マリア・ルイーザはメディチ家の最後の人間として、弟ジャン・ガストーネよりはるかに巨大で誇り高い優れた功績を残したのです。そして彼女の偉大な功績によってメディチ家の財宝は「人類の至宝」として今日まで残され、フィレンツェは「永遠の美の都」となったのです。

フィレンツェの森の中の名も無い「炭焼き」から身を起こし、数百年かけて高利貸し、銀行家、政治家、大富豪となり、やがてローマ教皇、一国の君主にまで昇り詰めた風変わりで華麗な一族メディチ家と、彼らが活躍した舞台である美と商人の街フィレンツェの物語いかがだったでしょうか?

私たち日本人には、京都に代表される伝統的な日本文化に基づく独特の美意識があり、西洋の美や芸術に触れたのは明治以降からですが、日本にはない西洋独特の豪華絢爛で写実的な造形美には大いに学ぶべき所があり、見る者を引き付けてやまない魅力があります。(簡単すぎる陳腐な表現で恐縮ですが。)皆さんも日々の日常生活の中で、時には美術館などに足を運んでみてはいかがでしょうか?些細な事から意外な人生の発見や転機が訪れ、もしかしたらメディチ家の様な「大富豪」になれるかもしれませんよ。(笑)

メディチ家とフィレンツェ 終わり。
スポンサーサイト

テーマ : 歴史
ジャンル : 学問・文化・芸術

フリーエリア
フリーエリア
にほんブログ村 歴史ブログ 世界史へ
にほんブログ村 ランキングに参加しております。よろしければ「ポチッ」として頂ければ嬉しいです。
プロフィール

コンテバロン

Author:コンテバロン
歴史大好きな男のささやかなブログですが、ご興味のある方が読んで頂けたら嬉しいです。

最新記事
最新トラックバック
月別アーカイブ
カテゴリ
アクセスカウンター
オンラインカウンター
現在の閲覧者数:
リンク
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。