ドイツ三十年戦争勃発 ・ 帝国は地獄となった

みなさんこんにちは。

神聖ローマ帝国史上最大の変わり者皇帝ルドルフ2世が、その弟マティアスによって譲位させられ、さらにその死後に帝位を継いで皇帝となったマティアス帝も1619年にわずか7年余の在位で亡くなると、次の帝位はその従兄弟であるオーストリア大公フェルディナントがフェルディナント2世として継承しました。(ルドルフ2世は生涯独身で、マティアス帝も皇后との間に子は成さなかったからです。)

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上が新帝フェルディナント2世です。(1578~1637)彼は熱烈なカトリックであり、皇帝になる以前から激しくプロテスタントを弾圧していました。そして彼こそが後にその後のドイツを地獄の戦場へと変えてしまう「三十年戦争」を引き起こしてしまった開戦の張本人でした。その最初の発端となる事件が1618年の「プラハ窓外投擲事件」(そうがいとうてきじけん)です。

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これはフェルディナントが皇帝となる前年にボヘミア王に即位した際、それを認めようとしないボヘミアのプロテスタント貴族たちに扇動されたプラハ市民がプラハ城を襲撃、王の家臣5名が城の3階の窓から投げ落とされたというものです。 幸い地面に干し草が積んであったため、投げ落とされた者たちはケガもなく、ウィーンに脱出してプラハの反乱とこの暴挙を王に報告しました。

知らせを聞いたフェルディナントは激怒し、直ちにボヘミアに討伐軍を派兵しますが、反乱軍も頑強に抵抗し、ここに事実上三十年戦争の火蓋が切って落とされます。翌年皇帝となったフェルディナント2世はボヘミアの反乱軍を壊滅させるため、プラハ郊外の白山に軍を集結させ、これを迎え撃つボヘミア軍との間で最初の大規模な戦闘が始まります。「白山の戦い」の始まりです。

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上が白山の戦いを描いた当時の絵です。皇帝軍の兵力はスペインからの援軍も含め、総勢2万7千を数え、対するボヘミア反乱軍は1万5千でした。この戦いは戦上手で敬虔なカトリックであった傭兵隊長ティリー伯を総司令官とする皇帝軍の大勝利に終わり、プロテスタント側はおよそ5千の死傷者を出して敗退します。 勢いに乗った皇帝フェルディナント2世は捕らえた反乱首謀者のボヘミア貴族たち27名をプラハの広場で斬首によって公開処刑しました。

しかし、いかに勝利したとはいえ、皇帝のこの様なやり方はプロテスタントにカトリックへの憎悪と憎しみを掻き立てる結果となってしまいます。 その後も双方の戦いは続き、戦火はやがて帝国全土に広がり、どさくさに紛れて領土を掠め取ろうと狙うフランス、スウェーデン、デンマークなどの介入も相まって大規模な長期戦へと発展していきました。

この三十年戦争は、最初は上で述べた様にカトリックとプロテスタントの宗教対立によるものでしたが、徐々に国家間の権力闘争の側面が露わになり、ヨーロッパにおける覇権を確立しようとするハプスブルク家と、それを阻止しようとする勢力間の国際戦争として展開する事になりました。

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上の図は1600年代のヨーロッパの勢力図です。現在のドイツに当たるヨーロッパ中央部は数え切れないほどの大小の領主によって細かく分かれてしまっているのがお分かり頂けると思います。

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これらの諸侯たちがハプスブルク家を旗頭とするカトリック派と、反カトリックのプロテスタントに別れ、さらにハプスブルク家には同じカトリックのスペインと、ナポリ・シチリア、ローマ教皇国が味方に付き、プロテスタント側にはそのスペインからの独立を目論むネーデルラント、その隣国で当時北海とバルト海を支配していたデンマーク、スウェーデンが支援し、さらに本来カトリックでありながら、領土欲しさにフランスも味方に回り、女王エリザベス1世の下で海洋国家として歩みだし、すでに海洋帝国となっているスペインを追い落としたいイギリスも加わるなど、実に複雑怪奇な様相を呈していました。


この三十年戦争で最も(悪い意味で) 活躍したのは身分の高い王侯貴族たちよりも、名もない傭兵たちでした。彼らは金次第でどこにでも雇われる荒くれ者の集団であり、宗教も政治思想も彼らにとってはどうでも良く、ただ彼らの興味は次の戦いでどこの王侯の味方に付き、どれだけの報酬をもらえるか、その一点だけでした。

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当時は国を守るために志願して兵士となる近現代の軍隊などありませんでした。従って皇帝や国王でさえも、純粋に彼らの軍隊といえば、代々仕える直属の家臣たちから構成された多くても数千から1万程度に過ぎず、この兵力ではとても複数の戦いを同時進行する余力はありません。また戦には莫大な戦費がかかる事から、そういつでも戦いをし続けるわけにもいかず、財政的に困難でした。


そこで皇帝や王侯たちは大きな戦いの前になると、死んでも誰も困らない名も無い傭兵たちを大量に召し抱え、末端の彼らに血を流させる事で戦争を続けていく様になります。(死ねば金を払う必要はないし、大事な家臣たちを失う事もありませんからね。)

ただし、戦いはいつでもあるわけではありません。先に述べた様に戦費の問題から、王侯たちは金が尽きると傭兵たちを一時的にいわゆるリストラします。失業した傭兵たちはその間は当然無収入です。 次の戦いはいつになるか分かりません。 全ては王侯たちの情勢次第です。そこで傭兵たちは食べていくために帝国内の農村を略奪して廻る様になります。

農民たちにとっては戦争があれば重税を課せられ、領主はその金で傭兵を雇い、村が戦場になれば畑が踏み荒らされ、戦争がない時は失業中の傭兵部隊がいつ襲って来るか分かりません。傭兵部隊に襲われたら、略奪、暴行、虐殺、やりたい放題にやられるというまさに「この世の地獄」でした。(まるで黒澤明監督の映画「七人の侍」に登場する野武士軍団の様ですね。)


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上の絵は傭兵たちによって虐殺され、見せしめに広場の木に吊るされる村人たちの死体です。

「十里歩いても人っ子一人、家畜一頭、雀一羽にすら出くわさない。全ての村で、家々が死体と腐臭に満ちており、老若男女、子供、馬、豚、牛が並び重なり合って飢えとペストで死に、蛆虫だらけだ、そしてもう亡骸を埋葬して悲しみの涙を流す者もいないため、狼や犬やからすに食い荒らされるに任せている。」

上の文章は当時のドイツの農村の惨状を記したパトキンなる人物の「ドイツ壊滅」の一文です。

この三十年戦争は非常に複雑な様相を呈していて、とても当ブログではその全容をお話するのは困難なのですが、ごく大雑把に説明すると、戦争の前半はカトリックの優勢、後半はプロテスタントの巻き返しという流れでご理解いただくのが良いでしょう。

やがてこの長い戦いの中盤から2人の英雄が現れ、戦争は宗教対立の次元を超えて、最初の国際戦争ともいうべき段階に入っていく事になります。

次回に続きます。
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