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フランスの三十年戦争参戦 ・ 宰相リシュリューの謀略

みなさんこんにちは。

1632年のリュッツェンの戦いで敗れはしたものの、プロテスタント軍の総大将であるスウェーデン王グスタフ・アドルフ2世を戦死させた皇帝軍総司令ヴァレンシュタインは、その後も残敵を掃討しながら各地を転戦していました。

彼の活躍によって皇帝率いるカトリック勢力は再び勢いを盛り返し、プロテスタント勢力をドイツ北部へと追いやる事に成功しましたが、ヴァレンシュタインの雇い主である神聖ローマ皇帝フェルディナント2世にとって大きくなり過ぎた彼の存在は、次第に邪魔なものになっていました。

特にヴァレンシュタインが皇帝軍の指揮を取る代わりに要求した数々の過大な条件が、今度は大きな心配となって皇帝にのしかかって来ます。 ヴァレンシュタインは軍の全権はもちろん、選帝候位やハプスブルク家の直轄領まで欲しいと言っていたからです。

「このままではあの傭兵上がりのボヘミア男に帝国の実権はおろか、わがハプスブルク家世襲の領地まで奪われてしまう。 グスタフ・アドルフが死んだ今、プロテスタント諸国をまとめる事だけの力を持った強者はいない。 ならばもはやあの男に使い道はあるまい。」

皇帝の中で恐ろしい考えが芽生え、やがて彼はついにそれを実行に移します。それはもはや皇帝にとって不要な存在となっていたヴァレンシュタインを粛清するという事です。

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1634年2月、皇帝フェルディナント2世は密かに側近にヴァレンシュタインの暗殺を命じます。皇帝の命を受けたハプスブルク家臣の将校たちからなる暗殺部隊はエーガーの居城で油断していたヴァレンシュタインを襲撃しました。寝込みを襲われたヴァレンシュタインは逃げる事も叶わず殺害され、こうして一介の傭兵隊長から公爵、皇帝軍総司令官にまで上り詰めた稀代の出世男は50歳で無念の死を遂げました。

皇帝がヴァレンシュタインを切り捨てた理由は他にもあります。この頃カトリック軍はプロテスタント軍に対して反撃に転じ、皇帝軍が勢いを取り戻すと、内心は宗教対立などどうでも良く、それまで情勢的に優位だったからという理由でプロテスタントに付いていた諸侯たちが再び皇帝軍の味方に転がり込み、皇帝は必ずしもヴァレンシュタインの力を借りなくても兵力の点で困らなくなっていました。

さらに傭兵による略奪を防ぐ目的で、占領地かその領主に対して略奪免除をする代わりに税金を取り立て、それを傭兵たちの報酬に還元するというヴァレンシュタインが考案した「軍税」のシステムを皇帝軍も取る様になり、ヴァレンシュタインを介さずとも皇帝が独自に傭兵たちを召し抱える事が出来る様になった事も挙げられます。

ヴァレンシュタインの暗殺によって皇帝軍総司令官の座は皇太子フェルディナント大公が就任しますが、これは皇帝にとって息子への帝位世襲を諸侯に知らしめるためのパフォーマンスでした。

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上が皇太子フェルディナント大公です。(1608~1657)彼は後に父帝の死後、フェルディナント3世として皇帝となります。彼の皇帝軍総司令官の就任は飾り物に過ぎませんでしたが、1634年の「ネルトリンゲンの戦い」で3万3千の帝国軍を率いた彼は、スウェーデン・ザクセン同盟軍2万5千を撃破し、皇帝父子はカトリックの権威と力を内外にアピールする事に成功しました。

しかし、ドイツにおけるハプスブルク家の勢力の復権を快く思わない西の大国がありました。それはフランスです。当時フランスはブルボン王朝初期で、それまでドイツ三十年戦争には表立って参戦はせず、もっぱら南のスペインとの勢力争いを続けていました。この頃の王はルイ13世でしたが、実際の王国の実権は宰相であるリシュリューが握っていました。

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上が当時のフランス国王ルイ13世です。(1601~1643)彼はフランス第5王朝であるブルボン朝2代国王で、あの有名なヴェルサイユ宮殿を造った「太陽王」として名高いルイ14世の父親です。

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そしてこの人物が当時のフランス王国宰相アルマン・リシュリュー公爵です。(1585~1642)彼はローマ教皇庁の枢機卿でもあり、1624年から亡くなる1642年までルイ13世の宰相を務めた人でした。

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上は馬に乗って海岸を視察するルイ13世と、後ろでそれに同行する赤い僧衣の宰相リシュリューを描いた絵です。 国王が海を指して何か指示し、家臣がその海の方角を見つめているのに、リシュリューの視線は国王に向けられています。 なんだか当時のフランスの姿が垣間見える絵です。

実はこのリシュリューこそ、密かにデンマークとスウェーデンに資金援助をしてドイツへの戦争に介入させ、フランスの代わりに戦わせた影の人物だったのです。 本来フランスはカトリックでしたが、当時彼らは南の強敵スペインと交戦中であり、その間スペイン・ハプスブルク家とオーストリア・ハプスブルク家が連携してフランスを挟撃出来ない様にさせて置く必要があったのです。 全ては彼が裏で糸を引いていました。

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このリシュリューについては、上に載せた19世紀のフランスの大作家アレクサンドル・デュマ(1802~1870)原作の小説「三銃士」の中で、主人公ダルタニャンたち三銃士に対して数々の策謀を巡らす悪役として描かれています。このデュマの作品で他に有名なものは、何といっても一大復讐劇として名高い「モンテ・クリスト伯」(または「巌窟王」)がありますね。

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このリシュリューが登場する 「三銃士」 や 「モンテ・クリスト伯」 は上の本です。 各社から出版されていますが、両方とも岩波文庫版が最も良書であると思います。 「三銃士」 は上・下巻それぞれ600ページ以上あり、「モンテ・クリスト伯」 の方は全7巻各350ページほどの長編で、全巻まとめ買いすると5千円以上になってしまいますが、どちらも200年読み継がれる名作です。 ジェラール・ドパルデュー主演で1998年に作られたDVDもありますが、こちらは買うよりレンタルなどで視聴され、よほど気に入られた場合に購入されると良いでしょう。

リシュリューが後の作家によって悪名高い「謀略家」としてキャスティングされたのは、史実における彼の内外の政策が後世に与えた影響が大きかった事が挙げられるでしょう。

さて、話を三十年戦争に戻しますが、老練なリシュリューの策謀によってドイツへの戦争に介入させられ、偉大な王グスタフ・アドルフと多くの兵を失ったスウェーデンとフランスの仲は次第に険悪になり、1635年両国はついに開戦します。戦争は新たな局面を迎えたのです。スウェーデンではグスタフ・アドルフの戦死によって後継男子がおらず、王位は彼の娘クリスティーナが女王として即位し、その宰相オクセンシェルナが辣腕をふるい、リシュリューと熾烈な駆け引きを繰り広げ、彼はフランスをドイツでの戦争に引きずり出す事に成功します。

一方ドイツにおいて、ヴァレンシュタインを粛清したハプスブルク皇帝家は大攻勢を仕掛け、スウェーデン軍を一気に壊滅させる作戦に出ます。 両軍はエルベ川の近郊ヴィットストックで激突しましたが、(ヴィットストックの戦い)皇帝軍2万5千は1万8千のスウェーデン軍に敗れてしまいました。これを機に、戦局は再びプロテスタント側が優勢になり、また南のスペインもネーデルラントにおいてオランダに敗れ、これによってオランダの独立は時間の問題となりました。

その直後の1637年、今次戦争開戦の張本人である罪多き皇帝フェルディナント2世が59歳で崩御します。帝位は皇太子フェルディナント大公がフェルディナント3世として即位、戦争は続行されますが、南のスペインもネーデルラントを失うなど、戦局はハプスブルク家とカトリック側に不利な状況になっていきました。

この様な状況下で、それまで父の意思を継いで徹底抗戦を主張していた新皇帝フェルディナント3世の中で、次第に 「和平」 への道を模索する考えが大きくなっていきました。

次回に続きます。
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テーマ : 歴史
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