若き女帝マリア・テレジア ・ 忍び寄るプロイセンの魔の手

みなさんこんにちは。

1740年、オーストリアは不安な年を迎えました。時の神聖ローマ皇帝にしてハプスブルク家の当主カール6世が胃がんで倒れ、余命いくばくも無い状態であったからです。そして何より皇帝はじめ、ハプスブルク宮廷が心配していたのが、これからのハプスブルク帝国の将来についてでした。なぜなら皇帝カール6世はついに後継男子に恵まれず、始祖ルドルフ1世以来多産の家系でこれまで1度も後継者に困らなかったハプスブルク家にとって、この様な事は初めて経験する事態であったからです。

皇帝は自分と皇后との間に男子誕生の見込みが年齢的に無理になった時点で、彼の2人の娘のうちの長女マリア・テレジアを後継者と定めますが、神聖ローマ帝国には前回お話した様に女帝や女王を認めないという、かつてのメロヴィング朝フランク王国以来の古い法があったため、帝国諸侯や周辺国からの反発が予想されました。そこで皇帝はこれら各国に領土を割譲してまでその了解を得るために奔走します。

そしてようやく皇帝は各国に娘テレジアへのハプスブルク家直轄領の相続を認めさせたのですが、その彼の考えの甘さが、後に娘テレジアを大いに苦しめてしまう事になりました。

さて父帝が限りなく大きな不安をもってその行く末を案じていた愛娘マリア・テレジアですが、彼女は父帝が自分への相続のために苦労していた頃はまだ何も知らない、ただ素晴らしい男性との燃えるような恋を夢見るうら若き少女にすぎませんでした。

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上が少女時代 (16、7歳頃) のマリア・テレジアです。(1717~1780)後に「女帝」としてヨーロッパに君臨し、現在においてもオーストリア本国で「国母」と慕われ絶大な人気を誇る女性です。

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このマリア・テレジアについて詳しくお知りになりたい方は上の本が良書です。 日本のハプスブルク研究の第一人者である江村洋教授の著作の一つで、恐らくマリア・テレジアの生涯について最も詳しく紹介した本ではないかと思われます。 ページ数は約400ページですが、江村氏の文章は学者にありがちな難解な言い回しが無く、とても読みやすいです。

さてそんな彼女に、やがて生涯の愛を捧げる男性が現れます。フランスとドイツの間に位置する小国ロレーヌ公国の公子でウィーンに留学していた9歳年上のフランツ・シュテファンです。陽気で優しいフランツに彼女はすっかり一目惚れし、「寝ても覚めても彼の事ばかり話している。」と周囲から笑われるほどの熱の入れ様で、若い2人は逢瀬を繰り返し、愛情を育みました。

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上がそのフランツ・シュテファンです。(1708~1765)彼は先に述べた様にもともとは小国ロレーヌの公子でしたが、フランスとオーストリアという大国の思惑に翻弄され、ウィーンへと送られます。そしてここでマリア・テレジアに出会った事が、その後の彼の人生を大きく変える事になりました。

フランツを気に入ったのはテレジアだけではなく、父である皇帝カール6世も娘の結婚相手として大いに彼を気に入り、本来なら神聖ローマ帝国の皇帝家であるハプスブルク家とは身分的に釣り合わない小国ロレーヌの公子フランツと娘テレジアの結婚を認め、1736年2月、2人は結婚しました。(これはハプスブルク家の「お家芸」であった政略結婚ではなく純粋な恋愛結婚で、まさに奇跡とも言えるものでした。)

実はこの時、テレジアの結婚相手としてもう一人の人物が候補に挙がっていました。北ドイツの新興軍事国家プロイセン王国の王子フリードリッヒです。当時20歳前後の若者であった彼は密かにウィーンを訪れ、まだ可憐な少女であったテレジアに好意を抱き、それを知った帝国の元老オイゲン公が皇帝にテレジアの結婚相手としてフリードリッヒを推薦しましたが、テレジアはもちろん皇帝もフランツを結婚相手と決めており、結局この話は流れてしまいました。

この時オイゲン公がプロイセンの王子フリードリッヒを推挙したのは、この結婚で強力な軍隊を持つプロイセンとオーストリアが一つになれば、再びハプスブルク家を盟主とする帝国をヨーロッパに創る事が出来るという、オイゲン公の冷徹な計算が隠されていました。(トルコ、フランス、スペインなど、これまで強大な敵と戦い、勝利してきた名将オイゲン公にとっては力こそ正義であり、力とはすなわち軍事力そのものでした。 彼がプロイセンのフリードリッヒとテレジアを結び付けようとしたのは、軍事力の弱いオーストリアの欠点を最も良く熟知していたオイゲン公のそうした思惑があったからです。)

オイゲン公は2人の結婚式には老齢を理由に欠席しますが、これは彼なりの無言の反発だったのでしょう。20歳からハプスブルク家に仕え、50年以上に亘って命を懸けてオーストリアの拡大に貢献した最大の功労者であり、帝国一の名将として政治的にも皇帝に次ぐ帝国第2の実力者であった彼も、相思相愛の若い2人の愛を引き裂く事は出来ませんでした。 (同年不敗の名将プリンツ・オイゲンは73歳でこの世を去ります。)

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余談ですが、この名将プリンツ・オイゲンの名は、その後オーストリアとドイツの人々に長く記憶され、後のオーストリア・ハンガリー帝国時代には同帝国海軍の巡洋戦艦 (通常の戦艦よりも速度の速いいわゆる高速戦艦) にその名が付けられ、(写真上)またドイツにおいても、ナチス・ドイツ海軍の重巡洋艦に同じ名が与えられています。(写真下) 艦形がスマートで均衡の取れた美しいデザインの重巡ですね。

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ちなみにドイツ重巡の方のプリンツ・オイゲン号は終戦まで生き残り、あの有名な太平洋ビキニ環礁におけるアメリカの核実験において、わが日本帝国海軍のかつての旗艦であった戦艦長門や軽巡洋艦酒匂、その他大小70隻の老朽艦艇とともに標的艦とされましたが、実験で他の艦は沈んだのにこの艦はそれでも沈まず、クエゼリン環礁まで運ばれる途中で座礁転覆し、現在も赤錆びた姿でクエゼリンの美しい浅瀬の海に眠っているそうです。


こうしてテレジアとフランツは結ばれましたが、父である皇帝カール6世はテレジアへの相続は一時的なものとして考えていました。 皇帝は自分亡き後の次の皇帝として、娘婿のフランツを帝位に就かせる事にしていましたが、最後の瞬間まで孫の男児誕生を夢見ていました。つまり2人の間に男児が生まれてくれれば、すぐにもその子を後継者とするつもりでいたのです。

そのため皇帝は娘テレジアに対し、政治教育を一切施す事をしませんでした。しかしこの事も、後にテレジアがオーストリアを継承した際に、娘に大きな苦労をさせてしまう事になってしまいます。そして残念ながら皇帝は彼の存命中にその誕生をひたすら待ち望んだ男児の顔を見る事はついに出来ませんでした。

1740年10月、神聖ローマ皇帝にして最後のハプスブルク家の男系であった皇帝カール6世が55歳で崩御し、ここにオーストリア・ハプスブルク家は歴代で初めて女性の当主を迎える事になりました。 この時テレジアは23歳で、すでに3人の子を産んでいましたがいずれも女子であり、さらに事実上の後継者であるテレジアが全く政治教育を受けていなかった事からハプスブルク宮廷の家臣たちも失望が広まっていました。

そこへ最初の新たな脅威が迫って来ました。同じ年、はるか北の新興国プロイセンがオーストリア領であるシュレージェン地方に侵攻し、これを武力で占領してしまったのです。そしてそのプロイセンの王はかつてテレジアの結婚相手の候補にも挙がっていたフリードリッヒ2世でした。彼はテレジアのオーストリア継承を認める代わりに石炭や鉄などの資源が豊富なシュレージェン地方の割譲を要求し、テレジアがこれを拒否すると初めからその答えが分かっていた様に準備していた軍を差し向けたのです。

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上が問題のシュレージェン地方の位置で、現在はほとんどポーランド領になっています。この地域は前述した様に石炭や鉄鉱などの地下資源が多く、古くから各国の争奪が繰り返された地域です。

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上が若き日のプロイセン国王フリードリッヒ2世です。(1712~1786)彼は後にフリードリッヒ・デア・グロッセ、すなわちドイツ語で「フリードリッヒ大王」と呼ばれ、ドイツ本国でかつてのシュタウフェン王朝の神聖ローマ皇帝バルバロッサと並んで大変人気があります。(あのヒトラーが最も尊敬していた人物です。)

このフリードリッヒの暴挙に若きテレジアは激怒し、ここにフリードリッヒとテレジアの生涯をかけた長い激しい戦いが始まります。そして彼女は名門ハプスブルク家とオーストリアを守り抜くという自らに課せられた使命を全うするため、宿敵フリードリッヒのプロイセンと戦う事を心に誓うのでした。

次回に続きます。
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